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旅 時々 Photo ところにより にわか雨 
旅行と写真好きな管理人が、旅に関する色々な情報を自分勝手に提供します。☆☆現地情報やツアー情報等満載☆☆
ペルーの旅 『 インカ帝国 』

 インカ帝国      (1250年~1533年頃)

インカ帝国は、数千キロ、数百の地方国家征服して造られた広大な国家であった。インカ帝国のケチュア語の正式名は、『タワンティン・スーユ』といい、『4つの(タワンティン)州(スーユ)』という意味である。現在使われているインカ帝国とは、ケチュア語の王の意味である『インカ』をスペイン人が国名と間違ったのがその由来である。
首都クスコは、『へそ』という意味で、国のほぼ中央に位置していた。

インカの主神は、太陽であり、続いてビラコチャ(創造主)や月、雷、丘(アブ)、コンドル、神話の登場物などが神格視されていた。ワカ(神聖視された特定のものや場所)として崇拝された神殿は、帝国全域にみられた。地方国家を征服後も土着や地方特有の神々への崇拝を尊重したが、独自の神の前に太陽神を信仰しなければならなかった。

【土器】
インカ時代の土器は、一つのスタイルのみが発展した。それは征服した地方国家にも課せられていたが、有名なチムー・インカやチャンカイ・インカ様式のように、各地の特徴を残しながら作られたものもある。

【建築・遺跡】
インカ建築の特徴は、素晴らしい石組みの技術である。
マチュ・ピチュ
・サクサイワマン
・ピサック
・オリャンタイタンボ

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ペルーの旅 『 チャンカイ文化 』


 チャンカイ文化      (約1000年~1400年頃)

チャンカイ文化は、リマから北70㎞のチャンカイ谷で発展した。
独特の(愛嬌のある?)土器と、羅織りやつづれ織り等の優れた織物技術が有名。


【土器】
チャンカイ文化の土器の特徴 ①白地に黒単色 ②ユーモラスなデザイン ③素朴

土器には魚、サル、猫、人をモチーフにしたものが多い。
さらに”チナ”と呼ばれる土器は、壺の首の部分が人の顔のように形作られ、色が塗られたり化粧をしている等、特に印象的である。その中でも”クチミルコ”と呼ばれる土器は最も有名。
”クチミルコ”は、バランスを多少変形させた人間を現し、一般的には腕を広げ(祈りのポーズ)、足が長い。また、口を開けているもの(歌い手)やはっきりと性別が女性と分かるものもある。
これらの土器は墳墓から発見されているため、死者の魂を守る目的で作られていたと考えられている。
チャンカイ文明(土器)


【織物】
チャンカイの織物は、羅織、レース、つづれ織り、刺繍、縫い取り織り、型染め、羽を使った織りなど、多くの技術が用いられた。モチーフには波、魚など海に関連する模様、蛇、人間などが使われている。
モチーフが反復して使われ、土色の暗い色が主調となっているものも多く見られる。
チャンカイ織物



ペルーの旅 『 チムー文化 』


 チムー文化      (約800年~1470年頃)

800年ごろ、ワリ帝国の支配が弱まると、ペルー北海岸では地方の王国が勢力を増し始めた。
チムー王国は、インカ族がクスコに現れたのとほぼ同時期に、かつて大きな文化(モチェ、シカン)が栄えた場所に起った。チジョン川渓谷~トゥンベスまでのペルー北海岸に広がり、15世紀、インカ族と出会うまで栄える。
チムー王国の創設者タカイナモは、王国の中央管理制御をしながら、チャン・チャン建造物群やその領域の北~南、海岸地帯~中アンデス地域の各渓谷をつなげる道路網を建設した。
1462年~1470年の戦いでインカ族に敗れた最後の王ミンチャンカマンは、インカ族によってクスコに連れて行かれ、一王女と結婚した。これによりチムー王国は終わりを告げる。

チムー王国は、当時の他の王国同様、宗教的信仰に支えられた社会であった。神権政治が行われ、国王または最高権力者が神話の起源をもち、その存在自体が神であると考えられていた。
国王より低い階層は、この社会で各人が果たす役割に基づき(世襲制)調和を保ちながら区分されていた。征服した村を管理する者は、臣民や税金の徴収など、大きな権力を持っていた。


【土器】
チムー族の土器は、その祖先であるモチェ族のものと比べると質の点では及ばなかったが、高度な技術は受け継いでいる。また、ワリ文化の影響も受けている。
チムー土器は良く研磨されていて、主に暗い色を用いている。
モチーフには、植物、動物、人、神話上の人物などが使われ、浮彫りやこてを使って描かれた。
インカによる征服後の特徴としては、柄の一端に小さなサルが付け加えられた。

チムー土器1
モチェ土器とチムー土器の違いは、前者は手で形づくったのに対し、後者は型を用いたこと。


【遺跡・建築】

・チャンチャンの中心区域
チャン・チャン遺跡1
チムー王国の首都チャンチャンの広さは約30k㎡におよぶ。推定人口約40万人。
宮殿、住居、貯水・食料庫、儀式用広場、通りや路地、墓地etc. 10の大きな建造物群からなる。
(当時のパリの広さ3.4k㎡、ロンドンの広さ2.7k㎡、ローマの人口約5万人)


・チャンチャン遺跡の主要広場の入り口の一つ
チャン・チャン遺跡2 チャン・チャン遺跡3
壁には、海鳥や魚をモチーフとして装飾されている。


【その他の特徴】
・農業の発達した文化
   チムー文化は、広範囲に充分な水を供給する灌漑用水路、農機具の使用、土壌改良など、
   農業が非常に発展した。エル・ニーニョ現象による干ばつや洪水のことを考えた国家計画に
   よって管理されていた。
・船乗り
   チムー王国の創設者は海から来たという神話からもうかがえるように、チムーの人々は優れ
   た船乗りでもあった。海辺近くの漁には伝統的なトトラ舟を用いた。
   一方、遠方への漁には、丸太を縛り付けて作った表面の平らないかだを用いた。いかだには
   帆をあげる1、2本のマストが立てられ、また海での安全性を高めるために船首と船尾に可動
   性の丸太も備えられ、木製のオールを使って漕艇していた。
・治金の技術
   主に金・銀・銅などの金属工芸や様々な合金、特に金属片を金箔・銀箔ばりする専門職人が
   いた。最高有力者は、金銀の首飾り、耳飾、仮面を身につけていた。




ペルーの旅 『 シカン文化 』


 シカン文化      (約900年~1100年頃)

別名ランバイエケ文化と呼ばれるシカン文化は、現在のランバイエケ県バタン・グランデ国立保護地区に栄えた。モチェ文化の衰退期に起こり、ワリやカハマルカ文化から直接影響を受けている。
チムー文化の攻撃に苦しみながら衰退し、最終的には吸収されていった。
その為、長い間チムー文化と混同されてきた。
周辺地域や同時期の文化同様、農業を経済基盤とし、親族から構成された支配階級による神権政治に支えられて発展した。さらに、婚姻によって、周辺の渓谷をも制御していた。


【土器】
シカン文化の土器の特徴 ①全面黒色単色 ②海に関係するモチーフが多い
シカン文化とチムー王国の土器は良く似ている。
チムー土器には、取っ手のところに小さなサルが彫られているのが特徴。


【その他の特徴】
・金属工芸
   シカン文化の金属工芸は大変美しいことで知られている。特に、儀式用ナイフ(トゥミ)や葬儀
   用の仮面が傑出している。それらの飾りには、ランバイエケの最高神であった翼型の目をも
   つ首長ナイランプの顔がモチーフとして多く使われている。
   ナイランプ→目尻のラインが上向き・鼻が突出している・耳の先がとがっている 等が特徴



ペルーの旅 『 ワリ文化 』


 ワリ文化      (約500年~900年頃) 

アヤクチョ地方に栄えたワリ文化の広がりは、北はランバイエケから南はモケグアまでの広大な領域に達した。統治の基本となったのは、、神殿ではなく、都市であった。首都ワリは、広場、住居、倉庫、多くの基壇の見られる大都市であった。征服した各地方都市に同じ様式が用いられているのが特徴的である。
町は戦略上城壁で囲まれ、大家族の住まいや農作物倉庫、共同体で使用する公共の建物が広場を囲っていた。このようなことから、この国家は計画的、組織的、そして経済能力があり、人口の統制も行われていたと考えられている。
地元首長を軍事的に支配して国家となった一方、ティワナコ高原文化の影響も受けていた。
また、領地の拡張に伴い、様々なワリの様式や、キープを使った二進法の計算システム、道路網の建設も広がり、後のインカ帝国にも影響を与えている。

【土器】
土器もティワナコ文化の影響を多大に受けている。その初期に見られる特徴は、水がめや高さ100㎝の円柱形をした奉納品としての壺など、大きなものである。また、赤やクリーム色、赤紫色、グレー、黒、白色を使い、ティワナコの図像を描いた水瓶が多く出土している。
ワリの領地拡大は、新しい様式を発展させた。ナスカの土器に現れているような瓶の首の部分が顔になっている水瓶や動植物のモチーフを用いたコップ、ケーロなど、それらがティワナコの図像を用いてつくられた。
また、仕上がりの質はあまり高くないが、同じようなモチーフを用いた実用性と機能性を重視した土器が大量生産された。
ワリの土器は、中心地から離れたカハマルカやランバイエケ地方でも発見されていて、幾何学的に表現されたネコ科の動物のモチーフやコップであるケーロ、瓶の首の部分が顔になっている水瓶等、多く出土している。

ワリ土器1


【織物】
ワリの織物はとても繊細な上に、目が均質で詰まっている。特に目を見張るのは、鮮やかな色(赤色や黄色)と黄土色や黒を用いたコントラストを出しているところである。
その図像は、荘重なものや非常に創意的なもの、杖を持った神をモチーフとした宗教的なテーマの繰り返し、抽象的なデザインと幾何学文様の組み合わせである。
多くの研究者はワリの図像は、装飾的なものである以上に彼らの考えを表現する手段の一種であったと考えている。
その製作には、綿やらくだ科の動物の毛(ビクーニャを含める)が用いられ、縫い取りや織りや経糸文様、後染めなどの技術が使われていた。
また、非常に細い糸で作られている厚さ0.1㎜のつづれ織りは傑作といえる。


ワリ織物1



ペルーの旅 『 ナスカ文化 』

 ナスカ文化      (約100年~600年頃)

地上絵で有名なナスカ文化は、インヘニオ川とナスカ川によって形成された渓谷、現在のナスカ市に発展した。パラカスなどの近隣の文明から影響を受けた神権政治社会であったが、その後、南山岳地帯のワリ文化に支配される。
ナスカ文化の衰退と消滅は、ペルー海岸に影響を及ぼすエルニーニョ現象によって起きた長期間にわたる干ばつや、他民族による進入によるものと考えられている。


【土器】
ナスカ文化の土器の特徴 ①彩色の美しさ 

非常にカラフルで、最大10か~12の顔料を使用した。
絵柄のモチーフは戦争や人物、動物が多い。

ナスカ土器1


【建築・遺跡】
ナスカ族は、耐震のための円錐形の日干しレンガを用いる技術によって、建物やピラミッド群を建設した。クウワチ地域には30以上ものピラミッドがある。


【織物】
ナスカ文化の織物は多様な技法で作られたとても繊細なもので、いくつかの様式があった。
初期の様式はパラカス・ネクロポリスに似ているが、針を使って立体的に作っている点が異なる。
その後、”飛んでいる人”と呼ばれるデザインが多く見られるようになり、また、技術面では刺繍が発達した。
後期には、神話上の生き物や幾何学文様のモチーフが使われるようになる。これらは、同じ布の上でも見る方向によって意味が異なったりするため、好んで用いられたと考えられる。
さらにその後は、より幾何学文様が頻繁に現れ、ワリ文化の影響を受ける頃(紀元700年)になると、バティックと呼ばれる新しい技法も用いられるようになった。


【その他の特徴】
・ナスカ地上絵
・戦利品の敵首
   敵の首を切り取ってミイラにし、口を小骨で縫い合わせ、腰に吊り下げて持ち帰る習慣があっ
   た。 (映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」に出てきます。)
   頭蓋骨を所有することによって、故人の勇敢な力が授かると思われていた。
・羽を使った芸術
   ナスカの人々は、鳥は神と繋がりがあると考え、神話をモチーフにしたデザインを多彩な鳥
   の 羽を使って作品に仕上げた。
   これらの作品は、政治的、宗教的に位の高い人物のみが身に着けることが出来た。
 ナスカ織物



ペルーの旅 『 モチェ文化 』


 モチェ文化      (約100年~600年頃)

モチェ文化はモチェ渓谷を中心に花開き、北海岸地方に広がった。
計画的農業が発展し、灌漑や貯水、食料の備蓄をすることで大勢の人口を支えていた。
さらに、組織化された税金システムや階層化された社会組織が築かれ、権力の制御も行われていた。裕福なエリート層と貧しい大衆や被征服者との差が非常に大きかった社会であったことが遺跡の発掘により明らかになっている。縦型政治組織は、宗教や神格化された首長への信仰によって支えられていた。各首長は大量の美しい宝石や金銀の装飾品を身につけた。


【土器】
モチェの土器の特徴 ①リアル(具象的)に物や人物を表現

その完成度は高く、例えば、王や祭祀、社会的に重要な人物の顔をモチーフに用いたほか、病気の人々の描写ではその苦しみをまるで写真のように巧みに表現している。また、悲しみや喜び、戦い、愛、性、宗教、死なども見事に形象化されている。
土器は個々に形作ったり、日常生活に使うものは型を使って大量生産された。
モチェ土器1


【建築・遺跡】
・モチェ文化の中心地モチェ渓谷には、太陽のワカと月のワカのピラミッドが建設された。
 ピラミッドは1億3000万個のアドベれんがを使って作られ、南米最大の建物と言われている。
 その建築技術は非常に高度なレベルに達していた。
・チカマの谷のアスコーペに約600万トンの水を貯めるダムを建造。ここに引いた水路の長さは
 93kmある。


【その他の特徴】
・金属工芸
   モチェの人々は溶解、鍛錬、打ち出し、溶接の技術を使い、金銀銅などの美しい金属工芸品
   を作り上げた。最も貴重とされた金は、宗教、政治、軍事的特権階級の人々の為に使われ、
   それらの人々が亡くなった後は、副葬品として墓に入れられた。
   銀は月や女性的なもの、金は太陽や男性的なものと関連付けられていた。



ペルーの旅 『 ティワナク文化 』

 ティワナク文化      (紀元前約200年~1200年頃)

ティワナク文化は、ティティカカ湖周辺で栄えた。
ランバイエケ(ランバイエケ文化(シカン文化))、リマ(リマ文化、アンコン文化、チャンカイ文化)、
イカ(イカ文化、パラカス文化、ナスカ文化)、アヤクチェ(ワリ文化)、クスコをはじめとする全ての
高原地帯に影響を及ぼした。


【土器】
ティワナクの土器の特徴 ①赤・黒・白の3色 ②外側に反り返った形

ティワナク土器1


【建築・遺跡】

・太陽の門 (ボリビア高原)
ティワナク遺跡

ティワナコの建造物群では、巨大な太陽の門や月の門、石の立像、儀式所、頭の形をした石釘に目をひかれる。ここには、住居はもちろんのこと、土器や織物、治金技術の発達した神権政治社会の重要な宗教儀式の場があったと考えられる。
建築や石像の完成度は高く、人、ネコ科の動物、ヘビ、コンドル、幾何学的描線、段、らせん形の図像が見られる。


【その他の特徴】
・埋葬方法
   それまでのペルー文化では、膝を折り曲げた形(胎児のイメージ)で埋葬していたが、
   ティワナク文化では水平に手足を伸ばした形で死者を埋葬していた。
・ティワナク文化は、ヨーロッパより1200年も早く白金を溶かしたことで有名。



ペルーの旅 『 パラカス文化 』


 パラカス文化      (紀元前約500年~紀元元年頃)

イカ川沿いの現在のチンチャやピスコ群のある海岸渓谷に発展した。
埋葬方法の違いから、パラカス・カベルナス(古)とパラカス・ネクロポリスの二つの時代に分類される。

パラカス・カベルナス
パラカス・カベルナス
この時期の墓は、直径1mのたて穴の奥に、幅4mほどの広さの空間をもつ。
その形はコップを逆さまにしたようだとも表現される。
様々な種類の美しいマントに包まれたミイラ12体の包みが発見されていて、そのほとんどは頭蓋骨穿孔術頭蓋骨変形手術の跡が見られる。
チャビン文化の強い影響が見られ、人やネコ科の動物や神話的なモチーフの織物が発見されている。

パラカス・ネクロポリス
パラカス・ネクロポリス

カベルナスのかなり後、それをさらに発展させた文化と言える。
墓はカベルナス時代の住居の廃墟の上につくられた。大規模な埋葬で、各遺体は美しいマントに包まれ、首飾り、土器、金、糸紡ぎや織物の道具、武器、トウモロコシ、ユカイモ、豆などと共に、足を折り曲げた状態(胎児の姿勢)で埋葬された。
この時期には頭蓋骨穿孔術はあまり行われなかったが、頭蓋骨変形手術は頂点に達し、長くor丸い形の頭蓋骨が好まれた。


【織物】
パラカス文化の織物はデザインが大変美しく、宗教や、そのマントを使った人の社会・政治階級を示しているとも言われている。

 パラカス織物



ペルーの旅 『 チャビン文化 』


 チャビン文化      (約紀元前1000年~紀元前200年頃)

チャビン文化はペルー北中部の山岳地方で発展した。
文化の基盤は宗教であったとみられ、それらは主に、この文化の特徴であるネコ科の動物や牙、大きく見開いた目、ヘビの頭、人間らしい形の絵などの図像の伝播によって広まっていった。
チャビンは、多くの民族の祭祀や住民たちが巡礼する非常に重要な宗教儀式の中心地であった。また、その宗教活動は大きな文化交流でもあり、他の文化にその知識を広めていった。


【土器】
チャビン様式土器の特徴 ①黒などの単色 ②球体 ②壺の上部につけられた半円形の柄 

良質で非常に薄く、精巧なデザインが施されている。表面は研磨され、植物や動物(主にジャガーなどのネコ科の動物)、人間、パターン化された図像や抽象的文様の浮彫りが施されている。
これらの土器は、同じ宗教を信仰していた多くの民族がいる山岳地帯と北海岸に広がって散在している。

チャビン土器


【建築・遺跡】

・チャビン・デ・ワンタル石造建造物群
チャビン・デ・ワンタル チャビン・デ・ワンタル2

チャビン文化の中心地。海抜3200mの高地にある。広場、階段、通路、地下室のあるピラミッド状の建造物群と宗教的な図像が施された石製立像からなっており、古神殿と新神殿の二つがある。
古神殿は、紀元前1000年頃に建設された。神殿はU字型をしていて幅100m以上、高さ16mある。神殿の正面は東(=日の昇る方角)を向いていて、入り口が一つだけある。
古神殿の南側にある非常に大きな新神殿は、チャビン末期の紀元前500年~紀元前200年頃に建造された。神殿の壁は、40以上の頭の形をした石釘と彫刻の施された石版で飾られていた。さらに入り口には、細かな彫刻が施された2本の柱とその上にチャビンの二重の宗教世界を表現する白黒の二つの石からなるまぐさがある。

・灌漑水路
アンデス山脈の硬い安山岩をくり抜いて水路を建設。3000年たった今日でも水が流れ、カハマルカの盆地の農耕に役立っている。水路は水勢を利用して自動的に掃除されるようになっている。
トンネルを開けて水道を通すという工事では世界最古といわれている。



ペルーの旅 『 アンデス古代文明年表 』

インカしか知らなかった私たちですが、ペルーを旅して、インカ以前にたくさんの文化が存在していたことを知りました。

頑張って、年表にまとめてみました228

(注) あくまで”文化”を中心にした年表です。
ペルー歴史

1万年前     
  ~            狩猟採集の生活→農業の始まり→土器・織物の出現  の3段階     
3000年前 
  ↓            ↓
3000年前(BC1000年) チャビン文化の出現
  ↓            ↓
紀元元年頃~       雄割拠の時代に突入 (モチェ、ナスカ、ティワナク など)
  ↓            ↓
  ↓            ティワナクの文化・宗教が高原地帯に広がっていく
  ↓            ワリ文化が海岸地方を中心に、ペルーのほぼ全土に広がっていく
  ↓            ↓
1000年頃~        再び群雄割拠の時代に突入 (チムー、チャンカイ、チンチャ など)
  ↓            ↓
1250年頃~        インカ帝国が興る
  ↓            ↓
1532年           インカ帝国の滅亡
                スペイン統治時代に突入 

おまけ (エジプトやインカなど、滅亡後はどうなったのか知ろうとしないことを反省して・・汗)
     1821年      独立派がスペイン王統派を破り、ペルー共和国として独立
     1968年      革命で軍事政権となる
     1980年      総選挙で再び民政となる

 


文字がない文化だったので、いまだはっきりしたことが分からず、本によって(学者さんによって?)言っていることが少しずつ違います238
それらをミックスして作ったので、絶対正しい!!とは言えないかもしれませんが、何冊かの本を合わせてだいたいこんな感じになりました229


ホライズン
アンデス文明の研究において、広域にわたって共通の文化スタイルが広がることを”ホライズン”と言います。アンデスでは、『チャビン』『ワリ』『インカ』の3つのホライズンがおこりました。



ペルーの旅 『 日程 』 編

【 旅の形 】  ツアー型 (JTB)
          『 マチュピチュに泊まる 遥かなるインカ ナスカ地上絵・チチカカ湖 
【 飛行機 】  日本航空
          ラン・ペルー航空

【 ホテル 】  リ マ      : メリア・リマ
                    : JWマリオット
          ウルバンバ   : カサ・アンディーナ
          マチュピチュ  : サンクチュアリ・ロッジ
          クスコ       : ホテル・モナステリオ
          チチカカ湖   :  リベルタドール・レイク・チチカカ      

【 OPツアー】   なし

【 日 程 】  2007年4月26日~5月5日

1日目(4/26) 伊丹37→成田37→ロサンゼルス37→リマ (深夜ホテル着)
2日目(4/27) ナスカ地上絵観光37
3日目(4/28) リマ37→クスコ (クスコ&近郊観光)35→ウルバンバ(夕刻)
4日目(4/29) ウルバンバ35→オリャンタイタンボ観光30→マチュピチュ観光
5日目(4/30) マチュピチュ観光30→クスコ
6日目(5/1)   クスコ35→チチカカ湖
7日目(5/2)   チチカカ湖観光35→フリアカ37→リマ
8日目(5/3)   リマ (市内観光)→深夜空港へ
9日目(5/4)    リマ37→ロサンゼルス37
10日目(5/5)  →成田37→伊丹


 ちょーっと行程がややこしいです・・・。



ペルーってこんな国


ペルー

【 国 名 】 ペルー共和国 (Republic of Peru)

【 面 積 】 128万5214km2   (日本の約3.4倍) 世界第19位

【 人 口 】 2,754万人 (2004年) 

【 首 都 】 リマ

【 言 語 】 スペイン語・ケチュア語・アイマラ語

【 通 貨 】 ソル

【世界遺産】 ★ クスコ市街                               (文化遺産)(1983年)
         ★ マチュ・ピチュの歴史保護区  (複合遺産)(1983年)
         ☆ チャビン古代遺跡                  (文化遺産)(1985年)
         ☆ ワスカラン国立公園                (自然遺産)(1985年)
         ☆ チャン・チャン遺跡地帯           (文化遺産)(1986年) 危機遺産
         ☆ マヌー国立公園                       (自然遺産)(1987年)
         ★ リマ歴史地区                           (文化遺産)(1988・1991年)
         ☆ リオ・アビセオ国立公園           (複合遺産)(1990・1992年)
         ★ ナスカとフマナ平原の地上絵  (文化遺産)(1994年)
         ☆ アレキバ市歴史地区           (文化遺産)(2000年)
        
【航空会社】 タンス航空
         ラン・ペルー航空

【有名企業】 -       
         
【有 名 人】 アルベルト城間 (ディアマンテス・ボーカル)
        アルベルト・フジモリ (元大統領)

ペルー地図



ALBUM 『 紫陽花 』


アジサイ1 アジサイ2

アジサイ3 アジサイ4



◆ アジサイ豆知識 ◆

一般的に花と思われているところは、実はガクが変化したところです。(装飾花)
装飾花に包まれた中央の小さな花の集まりが、アジサイの花びらになります。(両生花)




やっとペルー旅行記の準備が出来てきました。
明日から頑張って公開していきたいと思います。



『世界・ふしぎ発見!』 ペルー天空の湖に眠る超古代文明の謎    第1008回5月18日放送

チチカカ湖に眠る古代都市??

ペルーに行ってきたばかりの私たちには、とても興味をそそられる内容84
また新たに勉強できたので、自分たち自身のためにもここに記録しておきたいと思います☆
(そうでないと書きにくいので、あたかも自分たちが説明してるがごとくに書こうかと・・・202


 
チチカカ湖はペルーとボリビアにまたがった標高3812mの位置にあり、船の航行できる湖としては世界で最も高いところにある湖です。広さは琵琶湖の12倍。その広さと高さのため、
湖なのに波があり、酸素量が普通の湖の3分の2しかありません。


チチカカ湖はアンデス文明の原点の一つと言われていて、湖からは黄金のコップや
ピューマの香炉が発見されています。

古くから、『天空の湖 チチカカ湖の湖底には紀元前の失われた古代神殿が眠っている
チチカカ湖にはマルカパンパという町があったが、ビラコチャの怒りに触れて湖底に沈んだ
等の伝説・伝承があり、そして確かに湖底に遺跡らしきものが発見されているのです。
チチカカ湖では、3500年前から儀式が行われていた形跡があります。

チチカカ湖畔の街 ボリビア コパカバーナ。
コパカバーナは聖なる地で、ボリビア最古の教会(コパカバーナ・聖母バシリカ堂?)のある町。
チチカカ湖観光のボリビア側の拠点となっています。

コパカバーナから船で約1時間、湖に浮かぶ長さ11km、幅4kmの細長い太陽の島は、
神ビラコチャが降り立ったと言われている伝説の島です。
太陽の島の北にある、三つの小さな島に囲まれたトライアングル地帯の湖底に、その遺跡
はあります。

ダイバーが今回撮影した湖底には、階段や石の壁の一部や基壇などがあり、それらは400年頃
の神殿ではないかと考えられています。

一つの説として、かつては太陽の島と三つの小島は一つの島で、神殿などが建つ聖なる島で
あったが、自然現象で神殿が建てられていた低地の部分が沈んで、それぞれ別々の島になった
のではないかと考えられています。

神殿が沈んだ後も、神官たちは聖なる地として、湖に供物を奉納していました。
純金のリャマや銀製の人形(昔は様々な面で女性のほうが強かったので、女性の像のほうが
大きい)を石の箱に入れて湖に奉納していました。
石の箱に入れるのは、湖に沈んでいくようにということです。


 
では、湖に沈んだ古代都市に住んでいた人々はどこに行ったのか?

湖に沈んだ古代都市に住んでいた人たちはティワナクに移り住んだと言われています。
ティワナクは紀元前200年から1000年以上も栄えました。

ティワナク遺跡 カラササヤ神殿の太陽の門の中央に、ビラコチャのレリーフがあり、
ここからビラコチャ信仰がアンデス全体に広がったと考えられています。
その証拠として、ティワナク遺跡の半地下神殿の壁には、約180個もの顔の像があって、
それらはこの地を訪れた人々の色々な顔だと言われています。
その顔の像はチチカカ湖の湖底からも発見されています。

このように、チチカカ湖の古代都市に住んでいた人々がティワナクに移り住み、ティワナクの
信仰がアンデス全体に広がっていったのです。


 
でも、何故、3000m以上の高地で、文明が誕生できたのか。
(高地で気圧も低く、気候も厳しい土地でなぜ???)

それは、人々が陸地の上ではなく、湖の上に住んでいる理由を考えると、答えが出てきます。
湖は昼間、太陽の熱を吸収し、夜、その熱を放出します。結果、湖上は周りの陸地よりも
温かくなります。その熱貯蔵効果と一体が霧に覆われるという効果により、この一帯は農作業が
発達し、その結果、文明が発達したのです。


 ペルーに行ったときは、チチカカ湖に遺跡があるなんて全く知らなかったので、また、チチカカ湖へ行ってみたくなりました。(今度は、ボリビアから)


 
(おまけ)
今回の撮影にはボリビア海軍が参加していました。海の無いボリビアになぜ、海軍があるの?
1850年代まで、現在のチリ北部はボリビアだったので、ボリビアには海がありました。
海がなくなった現在でも、また、海軍が必要な時代が来ると信じて海軍が残っているとの
ことです。海軍が必要なときが来るということは、奪い取るということ??



ALBUM 『 THE 大阪 』

大阪 ・ 新世界

THE 大阪

大阪のシンボル、通天閣。

ふぐを入れて、地面すれすれから斜めに撮ってみました。



ALBUM 『 旅 』


岩手県 ・ 浄土ヶ浜

海鳥1

 ごはん!ごはん! ごはんちょうだーーーいっ!!!




海鳥2

        くれない人に用はない!!!



ALBUM 『 旅 』


海外旅行記だけを書いていると、いつまでたっても出番が来ない写真たちがたくさんあって
かわいそうに・・・。
時々はお披露目することにしました。
国内旅行だけでなく、日々の写真も、海外旅行記の合間に少しずつ出して行きたいと思います。


 


山形県 ・ 山寺 

山寺



グアムの旅 『4日目』

4日目

とうとう最終日。

台風を呼び寄せた私たちでしたが、なんとか最終日は晴れました。
イパオ・ビーチ

昨日の熱帯魚が忘れられなくて、もう一度ビーチへ。
魚たちと幸せなひと時を過ごしました。
(思う存分、浮いてきました236。)

旅の最後は、ホテル近くのイパオ・ビーチ・パークにお散歩に行きました。
ここは、芝生が綺麗で地元の人たちがバーベキューなどを楽しんでいます。
ホテルから公園まで、とってもいいお散歩コースです☆



グアムは深夜便を使えば、週末だけでも行けてしまうところ。
その後も、日々の生活に疲れたと感じるたびに、グアムへと国外脱出するレモンバジルです229




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グアムの旅 『3日目』

3日目

天気予報を見ると、昨日まで画面の端っこにあった台風マークが、なんとほぼ直角
曲がってこちらに向かっています!!
こんなことってあるのでしょうか6・・・。
台風まで呼び寄せようとする、二人の雨男・雨女っぷりに ”驚282 です。
(もし、スピードアップしてこっちに来たら、帰れないのでは・・・230


今日は、どんより曇り空の下、ツアーに付いていた島内観光へ。



アプガン砦(FORT APUGAN) ★☆☆
スペイン統治時代の1671年にチャモロ軍の攻撃に備えて建てられた。
ハガッニャの町やハガッニャ湾を一望できる。

高台にあるので、曇り空でなければ、景色の良いところです。 悲しい・・・。


ラッテ・ストーン公園(LATTE STONE PARK)★☆☆
”ラッテ・ストーン”とは、コケシのような形をした石柱。正確なところは解明されていないが、高床式の建物の基礎だと考えられている。
公園内には、高さ1.5~2mのラッテ・ストーンが8本整然と並べられている。
ラッテ・ストーン

静かな公園に、エリンギのような石柱が並んでいました。 
特に感想は・・・。

スペイン広場(PLAZA DE ESPANA)☆☆☆
かつてスペイン総督邸があった場所。建物は大戦中に破壊されてしまったが、サンゴで
できたアーチ状の堀などが残っている。
周辺には、グアム最大のカトリック教会「聖母マリア大聖堂」がある。

広い公園のようで、特に何があるわけではありませんが、ゆっくりお散歩気分で
広場を通り抜けると、マリア大聖堂に行けます。

マリア大聖堂の横で、生まれて初めて、椰子の実の刺身!!を食べました。
広場で観光客向けに売っているのですが、しょうゆをつけて食べます。(お好みでわさびも!)
なかなかいけますので、一度ご賞味あれ。

恋人岬(TWO LOVERS' POINT)★☆☆
スペイン統治時代、結婚を許されなかったチャモロ族の恋人同士が、互いの髪を
結び合い、抱き合ったまま身を投じたという伝説が残されている岬。
タモン湾からイパオ岬の景色が見渡せる。
恋人岬

見てください! このどんより曇り空っぷりを!!! 240201
晴れた日には、きっと綺麗な海の色が見れるのだろうなぁ・・・。

実は、伊豆の恋人岬に行ったことがある私たち。グアムの恋人岬と姉妹提携しているのは知っていたので、制覇した気分でなんとなく嬉しかったです。
ここからの景色はとても素晴らしいのですが、風が強烈ですので、帽子などは要注意です!



島内観光を終えて、夜は、一攫千金をめざし、ドッグレース

ドッグレースに行く前に、プラネット・ハリウッド・グアムで食事を取りました。
映画の小道具などが置いていて、一見楽しそうですが、料理も普通で一度行けば充分です。
(つまり、”アメリカの料理”です。)
腹ごしらえも済んだところで、いよいよ、ドッグレースへ。

今回は、OPツアーで行きましたが、タクシーで行ってもそれほどかかりません。
(ただし、帰りの足がないので、行きの運転手さんに待っていてもらう or 迎えに来てもらったほうが無難です。人数が多ければその方が安上がりかも。)
ドッグレース

遊び方は簡単。競馬とよく似たものです。
馬券ならぬ犬券の種類の中には、全順位を当てるスーパーフェクタがあります。
これは、当選者がいなかった場合、次のレースに賞金がキャリーオーバーされます。
会場には、賭け方や犬の調子などが分かる日本語の案内冊子もあります。
治安も悪くないので、夜のお買い物に飽きたら、行ってみるのもいいかもしれません。
(ただ犬はご飯をもらってない状態なので、少しかわいそうです。)

レモンバジルの成績は・・・・。 ・・・。 ・・・。




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グアムの旅 『2日目 後半』

2日目 後半

買い物疲れを癒しに、一度、ホテルへ。
小休憩を取ってから、ホテル前のビーチ255へ泳ぎに行きました。

ヒルトン・グアム・リゾート&スパは、タモン湾の一番端っこなので、ビーチはプライベートビーチ状
態。ヒルトンホテルの宿泊客しかいません。
ホテルのプールでタオル等を借りて、そのままビーチに出られます。

海は遠浅で、ほんの少し泳いでいけばシュノーケリング熱帯魚を見ることが出来ます。
私たちも、しばし楽しむことに。あまりに楽しくて時間を忘れてしまいました。
きっと上から見たら、泳ぎもせず浮かんでいる、そして浮かんだまま急にその場で方向転換する
だけのおかしな???に見えたことでしょう202 (カエル?流されてきた木?)
もうすっごくすっごく楽しいです!!!520 520 520

ただし!、あっという間に”後ろ半分だけ”日焼けします。 定期的に日焼け止めを!
あと、さんごが痛いので、ビーチサンダルはお忘れなく。



お昼寝をして、体力も回復したので、再び観光&ショッピングへ。



グアムの一番のエンターテインメント・エリア?、プレジャー・アイランドへ。
このエリアは、DFS、水族館やレストランなど一通りのものが揃っています。

まずは、水族館アンダーウォーター・ワールドへ。
世界一長い水中トンネルがありますが、中身は、普通の水族館です。
最後に小さな鮫や魚を直接触れるコーナーがあります。
鮫肌ってどんなものか身をもって体験できます。183
時間つぶし程度にはなりますが、入場料($20程度)の価値があるかは・・・。
(でも、ちびっこたちにはうれしいかもです。)

水族館見学の後は、ザ・プラザへ。
いつも人があまりいないので、静かでゆっくりと買い物が出来ます。
「LE  SPORTSAC」の少し大きな店など、ウェアやバッグなどの店が入っています。
個人的には、それほど好きな店はないので、少し涼むために行くくらいです。

夕食は、サム・チョイへ。
お店の上にクジラのオジブジェがあってすぐに見つけることが出来ます。
海底をイメージしたテーマ・レストランです。
アンダーウォーター・ワールドの3・4階にあるので、窓際の席にすわれば、プレジャー・アイランドエリアが一望できます☆ 壁には水槽に入った熱帯魚がいます。
レモンバジルのオススメ料理は、大きなBBQリブシーフードラウラウ
BBQリブはアメリカンサイズなので、二人で一つでも充分!
ラウラウとは、ハワイの伝統料理の一つで、ティーリーフとタロイモの葉でシーフードなどの具を
包んで蒸した料理です。


2日目も、思いっきり遊んでホテル帰りました。

おまけ
グアム滞在中は、コンピニ「ABCストア」に多々お世話になりました。
ハワイなどにもありますが、お土産、Tシャツ、アクセサリーや食べものなどが何でも売っていて夜遅くまで空いているので、観光客にとっては、とても便利です。



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グアムの旅 『2日目 前半』

2日目

私たちには珍しく、いいお天気1
天気予報を見ると天気図の端ーっこのほうに台風がありますが、私たちには関係なし!!

明日、島内観光に参加するので、何となく、むやみに観光しないほうがいい気分。
という訳で、今日もお買い物と、そしてビーチ258

まずは、タモン・サンズ・プラザ
タモン湾沿いのメインストリートのちょうど真ん中辺りにあります。
地図を見ると、DFSから500mくらいだからと思って歩いて行きました。

 ・・・。 ・・・・・。  282

南国の太陽をなめてました。灼熱の太陽の下、アスファルトの上を歩くのは間違い!です。
着く頃には、体中から汗が噴きだし、ヘロヘロになってました(泣)。
(みなさまも、お気をつけ下さいませ。)

タモン・サンズ・プラザに入ると大量の汗も一瞬にして消えました。南国ってどうしてこんなに
冷房が強いんだろう・・・。でも、この時ばかりは嬉しかったです。
建物の中は、ブランドショップがズラリ並んでいます。グアムには珍しく?とても高級感が
あります。
逆にそれ以外の普通のお店はないので、ブランド物に興味のない方は行く必要はないかもです。
(でも時々セールしてますよー。)


ブランド物を横目に、次の目的地Kマートへ。
ここは、24時間営業の大型スーパーです。
店内も大きければ、カートも恐ろしく巨大です。(大人一人は入れるなぁ。)
食料品や衣料品、生活雑貨まで色んなものが揃っています。
しかも、安い!!!
地元の方もたくさんお買い物してます。
私たちはいつもここでお土産のお菓子を買います。

バスタオルなども安くて大きいものが揃っているのでオススメです☆

前半戦 終わり。



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グアムの旅 『旅の1日目』

1日目

午後3時頃に到着。
レモンにとっては、2回目、バジルにとっては初めてのグアムです237

まずは、ホテルへ。
今回のホテルは「ヒルトン・グアム・リゾート&スパ」
タモン湾の端っこにありました。中心街とは反対側だけれど、その分周りの環境がよくて、
ビーチもヒルトンの人意外あまりいないし、◎です☆☆☆
日本からたった3.5時間、まだまだ元気なので早速、ショッピングへ203

今回は、バスカードが付いていたので、バスでおでかけ。
グアムには観光客向けのバスが走っていて、観光地だけでなく色んなショッピングセンターにも
それで行けます。普段はバス停で待つのですが、道を歩いていると、
”乗っていくかーっ”  って大声で声をかけてくれます。
(散歩してるときでも次から次へと声をかけてくれるので、そんな時はちょっと苦笑い)
バスカードはリゾートカードなどの名前で何種類かありますが、すっごく便利!なので、
旅行を申込むときにはカードが付いているかどうか確かめるのもポイントです☆


では、まずは、グアム・プレミアム・アウトレットモール

高級品はないですが、普段使いのものを買うには、オススメです。
服や靴、あと日用雑貨なども揃っています。
もちろんグアムなので夏物オンリーです。 (あっでもブーツみたなぁ・・・)
モール内で一番大きなお店=「Ross Dress for Less」は、ディスカウントストア?のようなお店
です。広い店内にありとあらゆる格安品が並べられています。
(品質は・・・値段相当だとは思います。 よく見て買いましょう!)
しっかり見れば、掘り出し物が見つかりそうですが、その前に疲れちゃいます。

少し買い物をして、次へ35
(一度は日焼け覚悟で、2階建てバスの上に上がってみましょう!気持ちいいです。)


マイクロネシア・モールに到着!
グアム最大のショッピングモールです。
バジルはガイドブックを見て、かなり楽しみにしていったのですが、・・・暗い・・・。
これ、全部電気ついてる??

広さは広いです。確かに。ベネトン、コーチ、エスプリなどの有名ショップもあります。
でも端っこの方のお店はシャッターが閉まっていたりして、何か活気を感じない。
人によって感じ方は違うと思いますが、言葉で表現するのは難しいですが、レモンバジルの
お気に入りにはなりませんでした。
結局、フードコートで夕食をとって次の場所へ。
(その後もグアムに来るたびに、大きさに負けて?毎度来ていますが、結局何も買いません。)


最後は、観光客にとっての拠点、DFSギャラリア・グアム

DFSには、ショッピングカードさえ持っていれば、どこからでもタクシーで無料で行けます。
タクシーに乗ってDFSに着いたら、運転手さんと一緒にカウンターへ。
そしたら、そこでカウンターの人が直接運転手さんに支払い?手続き?をしてくれます。
初めての時はドキドキしたけれど、運転手さんはみんな心得ているし、こんなにありがたい
システムはありません!!!

店内は、他のDFSギャラリアと同じです。
お菓子類もたくさん売っていますが、(そんなわけでグアムはいろんなショッピングセンターに
簡単にいけるので)時間のある方はKマートなどで買ったほうが安くなるかもしれません。


初日から、時間の限りあちこちへ行き、疲れ果ててホテルへ戻りました。
(バジルといると体力がどんだけあってもグッタリです282



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グアムの旅 『日程』 編


【 旅の形 】  フリー型 (ジャルパックAVA)
          『 まだまだ夏!グアム4日間 
【 飛行機 】  JALウェイズ

【 ホテル 】  ヒルトン・グアム・リゾート&スパ

【 OPツアー】   ドッグレース

【 日 程 】  2002年9月19日~9月22日

1日目(9/19) 成田37→グアム
2日目(9/20) 自由行動
3日目(9/21) 島内観光 → ドッグレース
4日目(9/22) グアム37→成田


旅の目的は・・・日本脱出っ!!37   です。


 


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CDラベル 『ペルー』
CDラベル、出来ましたー237

旅行の写真をCDに保存する時に、ラベルを作成しています。
(レモンは写真撮影+デザイン担当、バジルはその他ややこしいこと担当です☆ →
  →つまり、レモンは遊ぶだけ。バジルは準備と仕上げと後片付けです。)

ペルーの旅行で御一緒した皆さんに、写真(データ)を送るため、作ってみました。

ペルー表紙

ペルー裏表紙

現在、ペルー旅行の記事を準備中です。
まもなく公開予定です☆


ギリシャ・イタリアの旅 『旅の終わりに』 編

今回参加したツアーは、ホテルも食事もよく、観光とフリータイムがバランスよく入っていて、私たちにぴったりでした。ツアーのメンバーは全員、新婚さんばっかりでした。(皆さんステキな方たちで、いつかまたどこかでお会いできるといいなぁ。)

ギリシャはアテネにいれたのが、たった1日だったのが残念っ。
エーゲ海はきれいだった!!!やっぱり、ミコノス島やクレタ島やロードス島も行ってみたくなりました。アテネに少しでも行ったからこそ、よりギリシャに興味がわいて、デルフィもメテオラなどまた色々行きたくなりました☆

イタリアは、食べ物もおいしいし、お買い物も楽しいし、町を歩いているだけでも楽しいし。
ほんとうに楽しいっ!!!国でした。

今回は、ローマだけだったけど、イタリアには他にも魅力的な町がたくさんあるので、次は是非、他の町も回ってみたいです。
あっあと次回は夜のライトアップも見てみたいです☆

「トレヴィの泉に投げたコインの効果がありますように」と祈って帰りました。



イタリアのお土産

イタリアでのお買い物って本当に楽しいです☆
すぐに”ブランド”をイメージする人もいるかもですが、それだけではないですよー。
街をうろうろ歩いていると、小さくてかわいらしいお店を発見することが出来ます。

買ってきたお土産をご紹介します179

↓焼き物の時計
お土産1

お店
お土産の店 お土産の店地図写真・左の丸い建物がパンテオンです。
(↑クリックして拡大↑)

この時計は、パンテオン近くの「CENTRO RAKU」というお店で買いました。

パンテオンをめざしてうろうろしている時にステキなお店を発見しました。
お店の前を通りかかった二人は、ショウウインドーに釘づけ。
お店そのものに一目ぼれでした☆



お土産2

お土産3

イタリアに来たので、ベネチアン・グラスを買おうということに。
色がとても綺麗なので、このグラスに決めました。
光線によって入りが少し違って見えます。
スペイン広場近くのお土産屋さんで買ったので、たぶん本物ではないと思いますが、
綺麗でしょ?



お土産4

サン・タンジェロ橋で絵描きさんが描いていたので、買いました。
バジルの大好きなナヴォーナ広場です。
(最近、印刷したものに、わからないように色を塗って売っているお店もあるので、
ちゃんと手書きか良く見ないといけません・・。)



ギリシャ・イタリアの旅 『 ローマ帝国 皇帝 』 編

有名なローマ皇帝をご紹介します。
私たちのキーワード ”お勉強は浅く広く!” です。



アウグストゥス帝 (在位 紀元前27~後14)

帝国を安定させ、「パクス・ロマーナ」に導いた初代皇帝
遺言状で、カエサルの法定相続人に指名される。当時はまだ無名で、弱冠19歳の病弱な青年
だった。カエサル暗殺後の混乱を慎重に収拾、41年の長期にわたって最高権力を掌握し、
帝政時代を築いた。アウグストゥス帝以降の2世紀間は、ローマの支配下全域に平和がもたらさ
れたため、「パクス・ロマーナ=ローマによる平和」という。
市民にも元老院にも親しまれ、晩年には「国父」の称号を受けた。

・フォロ・ロマーノにヘレニズム的要素の色濃い建物を建て、帝政の表玄関にふさわしい風格を
 与えた。
・右腕アグリッパを起用して各地の都市を整備し、ローマ水道などの公共施設を建設。
・ローマを14区の行政区画に分け、防犯や防火対策を整えた。



ネロ帝
 (在位 54~68)

虐殺、放火、放蕩、帝国巨万の富を独り占めした暴君
当代一の著述家セネカを後見人として育ち、治世の最初5年間は、善政を敷く。
しかし、複雑な愛憎関係から、権力志向の強い母親アグリッピナを暗殺。これを境に、狂気の
暴君へと変貌していく。
64年、ローマの大半を焼き尽くす大火が発生した際には、ネロ帝が放火したとの噂が走り、その
評判はますます落ちた。つづいて私邸、黄金宮殿の建設に着手するが、焼け出された市民を
顧みず、国庫を空にしたこの事業によって、全ローマの反感を買い、68年、ついに自殺に追い込まれた。

・黄金宮殿(ドムス・アウレア)



ネルウァ帝
 (在位 96~98)

最初の五賢帝。



トラヤヌス帝
 (在位 98~117)

元老院に認められ、部下にも愛された軍人皇帝。
五賢帝の一人。

軍隊生活が長く、率直な人柄が愛された。属州ヒスパニア(現スペイン)生まれ。
ゲルマニア(現ドイツ、ポーランド地域)遠征中に、全皇帝ネルヴァが逝去したため、戦地から
ローマに帰還し、皇帝の座についた。その凱旋の際、馬や輿に乗らず、徒歩で行進したことから、
庶民的な皇帝といわれ、市民の尊敬を一身に集めた。
理想的な皇帝であるよう努め、「至高の皇帝」の称号を獲得した。
軍事的には最後の侵略主義者として知られている。

・領土拡大に力を注ぎ、トラヤヌス帝の時代に帝国の版図は最大となる。
・フォーリ・インペリアーリの整備
・大規模な公共事業(水道事業など)や貧民の救済事業を起こして内政を立て直す。

・トラヤヌス記念柱 (ダキア遠征の一部始終が描かれた柱)



ハドリアヌス帝
 (在位 117~138)

ギリシアを愛し、設計に熱中する髭をはやした建築家皇帝。
五賢帝の一人。
ギリシア志向の皇帝として知られ、ローマ帝国では唯一、ギリシア風の髭をたくわえている。
長くアテネの統治官をつとめた彼は、肥大した帝国と、硬直化した都ローマの矛盾にいち早く
気付いていた。このため21年の治世のうち12年間を視察旅行に費やし、辺境の防衛を強化
した。帝国北端、グレート・ブリテン島を横断するハドリアヌスの長城もその一環として建設された
もの。

・辺境の防衛を強化

パンテオンの再建
・トラヤヌス神殿
ハドリアヌス墓廟(現サンタンジェロ城)
・ヴィラ・アドリアーナ(ローマ郊外ティヴォリにある保養所)
・ハドリアヌスの長城



アントニヌス・ピウス帝
 (在位138~161)

五賢帝の一人。




マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝 (在位161~180)

最後の五賢帝。




コンスタンティヌス帝 (在位306~337)

ローマ皇帝初のキリスト教信者で、退廃するローマを捨てた皇帝。
コンスタンティヌス帝は、312年のムルヴィウス(ミルヴィオ)橋の戦いで、マクセンティウス帝と対決する直前、空に十字架が浮かび上がり、”これにて勝て”という神の啓示を受けたという。
ローマ皇帝として、最初のキリスト教信者となった彼は、313年、ミラノ勅令を発して信仰の自由を認め、キリスト教を公認した。ローマにキリスト教という新しい時代の息吹を吹き込もうと、バシリカや礼拝堂など、キリスト教関連の建物を積極的に建設した。
しかし、過去の栄光に埋もれたローマを立て直すことはもはや不可能と考え、330年、ついにコンスタンティノープルへの遷都を決意。自身もローマを後にした。

ミラノ勅令(信仰の自由を認め、キリスト教を公認)




ディオクレティアヌス帝
 (在位284~305)

分割統治を制度化し伝統復活を掲げた実力者。
初代アウグストゥス帝の時代から約300年。度重なる他民族の侵攻に苦しみ、皇帝が次々
暗殺された時代に、彗星のように現れてテトラルキア(四帝分割統治)体制を築いた皇帝。
キリスト教徒を迫害し、都ローマに伝統的な習慣を取り戻して、秩序回復をはかった。
しかし、彼が行った多岐にわたる改革は、安定した時代へ導いたものの、帝国全体を視野に
入れた改革とはならなかった。
彼が引退した後、帝国は内乱に陥った。(古代の歴代皇帝で引退した例はほとんどない。)


ギリシャ・イタリアの旅 『古代ローマの歴史』 編


<王制期>

BC753年 伝承によるローマ建国
BC616年 エトルリア人によるローマ支配始まる
BC509年 王制廃止


<共和制期>

BC509年 共和制の開始
BC212年 イタリア半島全域を支配下に置く
BC264年 第一次ポエニ戦争(~BC241年対カルタゴ シチリアを最初の属州とする)
BC218年 第二次ポエニ戦争(~BC201年対カルタゴ 西地中海の覇権を掌握)
BC149年 第三次ポエニ戦争(~BC146年 アフリカ北部、マケドニアを属州とする)
BC73  年 剣奴スパルタクスの蜂起
BC63  年 キケロ、カティリーナの陰謀を弾劾
BC60  年 第一次三頭政治始まるカエサル、ポンペイウス、クラッススによる新政治体制)
BC58  年 カエサルのガリア遠征
BC44  年 カエサル暗殺
BC43  年 第二次三頭政治アントニウス、レピドゥス、オクダヴィアヌスによる政治体制)
BC30  年 クレオパトラ自殺(エジプトがローマの属州となる)


<帝政期>

BC27  年 初代皇帝オクタヴィアヌスの誕生(~AD14)
                           (元老院よりアウグストゥスの尊称を受ける)
AD43  年 クラウディウス帝(在位41~54)、ブリタニアを属州とする
AD64  年 ローマの大火→キリスト教徒への迫害始まる
AD68  年 ネロ帝(在位54~68)、元老院より死刑宣告を受け、自殺
AD79  年 ヴェスヴィオ山が噴火し、ポンペイ埋没
AD80  年 コロッセオの建設
AD116年 ローマ帝国の領土が最大になる(トラヤヌス帝、ダキア戦争に勝利し最大版図達成)
AD122年 ハドリアヌスの長城を建設(ハドリアヌス帝、ブリタニアに遠征し、長城を建設)
AD212年 アントニウスの勅令(カラカラ帝、帝国内の全自由民にローマ市民権を与える)
AD250年 デキウス帝(在位349~251)、大規模なキリスト教徒迫害を行う
AD271年 アウレリアヌスの城壁、ローマを囲う
AD293年 ディオクレティアヌス帝(在位284~305)による、四帝分割統治開始
AD313年 コンスタンティヌス帝(在位306~337)、キリスト教を公認(ミラノ勅令
AD330年 コンスタンティノープルに遷都
AD375年 ゲルマン人の大移動(西ゴート族がローマ領内に移動し、ゲルマン民族大移動へ)
AD392年 テオドシウス帝(在位379~395)、キリスト教を国教とする


<分裂以降>

AD395年 帝国、東西に分裂
AD476年 西ローマ帝国滅亡
  1453年 東ローマ(ビザンティン)帝国滅亡(オスマン・トルコに滅亡される)



ギリシャ・イタリアの旅 『ローマ 7つの丘』 編

ローマはよく『7つの丘』から出来ていると言われますが、7つの丘について、簡単に調べてみました。

7つの丘


① パラティーノの丘
フォロ・ロマーノの南側に位置し、ローマの政治や経済などに力を持つ貴族や有力な家柄の人々の住む住宅地であった。
ローマ建国神話に登場する双子神ロムルスとレムスが、紀元前8世紀にこの丘に街を作ったとされている。

② アヴェンティーノの丘
パランティーノの丘の西に位置する。古代は交通の要衝で外国の商人が絶えず行き来する商業の町であった。現在は閑静な住宅街となっている。

③ クイリナーレの丘
トレヴィの泉の東側に位置する。7つの丘の中で一番高い。
古代ローマ時代は住宅地として発展。大きな浴場(コンスタンティヌスの浴場)も造られた。
中世にはすっかり忘れられていたが、16世紀のクイリナーレ宮造営を期に反映を始めた。

④ カンピドーリオの丘
フォロ・ロマーノの西、現在の市庁舎があるところに位置し、フォロ・ロマーノが一望出来る。
調査によると人々が住み着いたのは鉄器時代(紀元前1300年頃)で伝説によるローマ建国(753年)よりずっと昔に遡る。
有利な地形であることから、まず、自然の要塞として発達、次いで、紀元前6世紀頃にローマ3守護神(「カピトリーノの3神」ジュピター・ユノ・ミネルヴァ)に捧げる神殿が造られた。
以後、古代ローマで最も神聖な場所となり、重要な政治的儀式はここで執り行われた。
中世には一次荒廃し、羊が草を食む場所と化したが、ルネッサンス期の都市計画によりよみがえり、華やかな姿を見せている。

⑤ ヴィミナーレの丘
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の西に位置する。
フォロ・ロマーノが手狭になったのを感じたカエサルがここに自分の名前を冠した「カエサルのフォロ」を建設。歴代皇帝もこれに習い、新しいフォロが次々とこの丘に作られた。

⑥ エスクイリーノの丘
コロッセオの北東に位置する。
アウグストゥス帝の庇護者メセナスがlここに館を構え、多くの芸術家を自邸サロンに呼び寄せたことから、古代文明の発信基地となった。
のちに皇帝ネロがこの丘にまたがる壮大な宮殿を建設した。その黄金宮殿はコロッセオの25倍の規模だったと言われている。

⑦ チェリオの丘
コロッセオの南、パラティーノの丘の東に位置する。
共和制末期から住宅街として栄えた緑豊かなエリア。1世紀に皇帝ネロの母アグリッピーナが、亡き夫クラウディウス帝祀る神殿を建築した。中世以降、その遺跡の一部を利用して大規模な協会が建てられた。





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