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旅 時々 Photo ところにより にわか雨 
旅行と写真好きな管理人が、旅に関する色々な情報を自分勝手に提供します。☆☆現地情報やツアー情報等満載☆☆
ギリシャ・イタリアの旅 『S・P・Q・R』 編
S・P・Q・R とは?

ローマのあちこちでみるこのマーク。
マンホールや建物の壁やパンフレットなどあちこちに使われてるこれって何だろう・・・???

S・P・Q・Rとは、Senatus Populusque Romanus の略。
その意味は、「元老院とローマ市民」。

古代ローマの国家全体の主権者は「元老院とローマ市民」であることを示し、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものとなっています。

ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカでも見ることが出来ます。

現代のローマ市の紋章にもなっています。

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ギリシャ・イタリアの旅 『ローマおすすめ!?スポット』 編

ローマは、見るところがたくさんありすぎて、夢中で観光しているとクタクタになってしまいます。

そんな日本人に優しい場所があります。
それは、

   ローマ三越189

冷たい水とソファとトイレと日本語が通じるステキな空間が疲れた観光客を癒してくれます。
日本語の観光情報をGETするも良し、のんびりくつろぐのも良し、お土産コーナーを回ってみるのも良し。ずっーと居ても嫌な顔はされません。

私たちも何度かお世話になりました。

ツアーの人は、一度は連れて行ってもらえると思いますが、普通の店ですので
個人旅行でも自由に入店できます。
ローマに行った際は是非活用してください236

ローマ三越は共和国広場(地下鉄Repubblica)から徒歩3分のところにあります。
テルミニ駅からも歩いていける距離です。



ギリシャ・イタリアの旅 『ホテル(イタリア)』 編

スターホテル・ミケランジェロ (ローマ)
スターホテル

スターホテル地図 写真上側がサン・ピエトロ寺院
(↑クリックして拡大)

今回宿泊したホテルは、サン・ピエトロ寺院から徒歩10分弱という好立地で、しかも周りも静か。

部屋は特別キレイという訳ではありませんが、不快なく過ごせました。

なんといっても、このホテルの良さは、サン・ピエトロ寺院まで歩いていけること。
朝や夕方に、ぶらぶらとサン・ピエトロ寺院まで散歩に行けてしまうのです。

しかも客室からもサン・ピエトロ寺院を見ることが出来ます。
ホテル2



ギリシャ・イタリアの旅 『食事(イタリア)』 編

イタリアの食事は、とにかくおいしい。
ツアーで連れて行ってもらえるレストランも、自由時間で自分たちで食べに行ったところも、
食べたもの全てがおいしかったです。

イタリアでどうしても外せないのが、ジェラート
イタリアはアイスクリーム発祥の地だけあって、街のあちこちにジェラート屋さんが
あります。今回は、数回しか食べられなかったですが、どれもとってもおいしかったです。
シャーベット系が特にオススメです。


イタリアのレストランは、種類が色々あります。目的に応じて、使い分けましょう。
簡単に説明してみます。

リストランテ(Ristorante): 最高級から中級までの、いわゆるレストランのこと。
                 必ず、コースの中から数品選ぶ必要があり、パスタとコーヒー
                 だけ、ということは出来ません。(出来ますが、避けたほうが
                 いです。)
トラットリア(Trattoria)   : リストランテより気軽に入れ、きちんとした服装で出かける
                                      必要はありません。コースで頼む必要もなくパスタとサラダ
                 だけ、という頼み方も出来ます。
ピッツェリア(Pizzeria)  : ピッツァ専門店。
バール(Bar)       : 軽い軽食も取れる。喫茶店とバーと惣菜店を合わせたような 
                 便利な店

ツアーについている食事は、リストランテか一部トラッテリアでしたが、パスタ類が本当においしかった!!特にラザニア(パスタ類?)が絶品でした。日本でラザニアはそれほど好きではなかったのですが、それ以来、大好きに★★★。日本でもおいしいラザニアを探していますが、この時のラザニアを越えるものにはまだ出会えていません。

↓ツアーには、カンツォーネを聴きながらのディナーがありました。
カンツォーネ

自由時間に行った日本大使館近くのピッツェリア。
ここで、イタリア人の凄さを思い知らされました。
ピザ屋
せっかくなので、レモンとバジルそれぞれ違うピッツァを一つずつとサラダを頼みました。
しばらくすると、ピッツァがやってきました。が・・・

大きい!!大き過ぎる!!183

大きなピッツァを二人で必死に食べていた時、近くの席にイタリア人のおばあさんが一人で
やってきました。
しばらくすると、私たちと同じようにピッツァがおばあさんのもとに。
「おばあちゃん、無理だよ。」と内心思いながら見ていると、あれよあれよと言う間に
巨大ピッツァを平らげてしまいました。しかも平然と。
私たちは、結局、二人で一枚分しか食べられませんでした。
さすがに本場にはかなわないと思うレモンバジルでした。



ギリシャ・イタリアの旅 『ローマ散策』 編


真実の口 ( Bocca della Verita ) ★☆☆

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口の柱廊左側にある。
名画 『 ローマの休日 』 で一躍有名になった。
「嘘を言った者がこの口に手を入れると手を食べられてしまう」 という言い伝えは
中世のものだが、今日でもここで”正直”の証をしようとする人々は後を絶たない。

真実の口

足元が真っ暗なところを歩いたり、暗くて見えないところを手探りで何か探したり
ってことが、大の大の大の苦手238なレモン。
もう大人だし、わかってはいるけれど、なかなか手が入れられず・・・。
心臓ドキドキ決死の覚悟で入れました182
(バカですよね・・・。でもどうしても苦手なのです・・・泣) 240

乗り気じゃないレモンを引っ張ってきて、写真を撮り大満足のバジル。
ミーハーと言われようが、ローマに来たからにはここで写真を撮らないと!!



スペイン広場(Piazza di Spagna) ★★☆

広場前の階段は、正式名は、トリニタ・デイ・モンティ階段であるが、通称スペイン階段
の愛称で知られ、世界中からの観光客で賑わっている。
17世紀にスペイン大使館があったことがその名の由来である。

スペイン広場

映画「ローマの休日」をまねて、ジェラートを買い、階段に向かった私たち。
階段を3段くらい昇ったところで、「ビービービー」と笛の音が!!
ここは飲食が禁止だったのです。

私たちの野望は、もろくも崩れ去りました282

同じようなことを考える観光客が後を絶たないようで、私たちの後も次から次へと笛を
鳴らされていました。

ジェラートを食べ、気を取り直して、階段を上がったところで、二人の絵を
描いてもらいました。 が・・・ぜんっぜん似てない!!



トレヴィの泉(Fontana di Trevi) ★★☆

トレヴィの泉の起源は、紀元前19年 アグリッパが造らせた水道に遡る。
一度は破壊された後、1453年から約300年かかって、1730年、現在の姿になった。
工事を完成させたのは、コンクールで選ばれた当時ほとんど無名の若手建築家
イコラ・サルヴィだった。
トレヴィとは、三叉路の意味。

トレビの泉

むしろ向きに泉にコインを投げ入れると、またローマに戻ってこれる」 という伝説を聞いて、
さっそく私たちもやってみました。周りを見てみると、同じことをしている世界中から
やってきた観光客の姿がたくさん。
泉のなかには、各国のコインが沈んでいました236
(後で知ったのですが、本当はコインの投げ入れは禁止だそうです。229

トレヴィの泉周辺には、おいしいジェラート屋さんがあります。
次来たときには、ジェラート屋さん巡りをしたいなぁ。

(スペイン広場とトレヴィの泉は、いい写真がなかったので、怒られるかなぁとビクビクしながら
絵はがきを載せちゃいました。)



サンタンジェロ城近辺
サンタンジェロ城近辺1

サンタンジェロ橋のベルニーニ作の像
サンタンジェロ城近辺2

サンタンジェロ城からサンタンジェロ橋を渡り、バチカンを通り抜けてホテルまで帰る道は
私たちのお気に入りの散歩コースになりました。



ギリシャ・イタリアの旅 『ポンペイ』 編

ポンペイ ( Pompei ) ★★☆    
ポンペイは紀元前8世紀ごろから商業活動の要衝として栄え、紀元前1世紀ローマ帝国
に編入されてからは、貴族の別荘なども建てられた。
しかし、79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火を起こす。
街は死の灰の直撃を受け、一瞬のうちに埋もれてしまった。
噴火時の人口は約2万5000人と推定されている。

1748年から発掘が始まり、現在町の約5分の3が地上に再現され、今なお3分の2が
地下に埋まっている。


街が本当に、そのままの状態で残っていました。
一瞬のうちに熱風と死の灰に飲み込まれてしまったので、食事をしていた様子や、
働いていた様子がそのままに残されています。
当時の生活の様子をそのまま知りたい人には、行く価値あり!です。
ただ、中には人型に残った穴があったりして、少し悲しい気持ちになる場面もありました。


ポンペイ1


ポンペイ2

↓遺跡を利用して、レストランがありました。
ポンペイ3

ポンペイ4

  ↑  ↑  
遺跡の出口に向かう途中、後ろから歩いてくる人みんなに キラッキラ189の笑顔 をふりまいて
いる天使を発見!!!
あまりのかわいさに、後ろを歩く人はみんな笑顔に。
あんまりにもかわいくて、写真を1枚撮らせてもらいました237
後にも先にも、こんなに姿も仕草もかわいいちびっ子は見たことがありませんっっ。



ギリシャ・イタリアの旅 『ナポリ』 編

今日は、旅の6日目。
朝から、”ナポリ・ポンペイ1日ツアー”に参加しました。

ローマから高速道路を南へとひた走り、ナポリに到着33

”ナポリ・ポンペイツアー”ですが、ナポリでの観光は車窓観光のみ。
唯一車から降りたのは、下の写真のビューポイントでの撮影タイムだけでした。

この写真は丘の上から北を向いて取った写真です。
南を向けば、世界3大美港の一つ、ナポリ港が見渡せます。
(南の写真は、私たちが写ってしまってるので・・・。)

たった5分だったので、3大美港の凄さも実感できないままでした。(泣)
ナポリ1

(おまけ)
世界3大美港
  シドニー、ナポリ、リオ・デジャネイロ
 または
  シドニー、リオ・デジャネイロ、香港
 または
  シドニー、ナポリ、香港



ギリシャ・イタリアの旅 『フォロ・ロマーノ』編 その2

フォロ・ロマーノの復元図もあったので、載せてみました。
ただ・・・ここまで作りこまれてると、ホントかなぁ~ってちょっぴり疑っちゃいます229


フォロ・ロマーノ2-1

フォロ・ロマーノ2-2

でもホントにこんな感じだったんなら、本当にローマってすごかったんだなぁ。
(1600年前にこんな都会があったなんて!!)


ギリシャ・イタリアの旅 『フォロ・ロマーノ』編 その1
フォロ・ロマーノ ( Foro Romano ) ★★★

フォロとは公共広場のことで、「フォーラム」という言葉の語源。
歴代の皇帝たちは、権力の象徴としてこのフォロに、元老院、裁判所、凱旋門を次々と
建造した。まさに、帝政ローマ時代、ここは政治・経済の中心地であった。
4世紀末、西ゴート族の侵入により、荒廃の一途をたどる。

フォロ・ロマーノ1-1

写真に写る人と比較すると、その規模がわかります183
中世には放牧地になっていたそうです282
残っていた遺跡も建築材料として持ち去られたようですが、それでも充分当時の面影を
感じることが出来ました。 (石の文化は長く残るところがいいですね。)

カエサルが暗殺された場所や、アントニウスが有名な追悼演説をした場所なども説明して
もらって、当時の様子を頭に思い描きながら遺跡を散策しました。
(でも・・どうしてそんなことまでわかってるのかなぁ。驚きです。)


フォロ・ロマーノ1-2

フォロ・ロマーノは遺跡の町といった感じで、遺跡好きにはたまらない場所なのです。
中を歩いているだけで、ここはどんな建物だったのだろう、とか、どんな人がどんな生活を
してたのだろうかと古代に思いを馳せてしまいます。どこの遺跡もそうですが、昔の人と
同じ場所にいるなんてすごいことですね。


ギリシャ・イタリアの旅 『ナヴォーナ広場』 編

ナヴォーナ広場 ( Piazza Navona ) ★★★
1世紀後半、ドミティアヌス帝がここに競技場を造ったのが始まり。
競技場=アゴーネagoneがなまってナヴォーナと呼ばれるようになった。
1477年、シクストゥス4世がここに市場を移し、庶民の生活の中心となった。その後、
イノケンティウス10世は、隣の教会を新しくするとともに、広場の表情を一新しようと考え、
当時の有名建築家の手により現在の姿になっていった。


長細い広場には、3つの噴水がありました。 はしから、
 
 ・ムーア人の噴水
 ・4大河の噴水
 ・ネプチューンの噴水

4大河の噴水はベルニーニの作品だそうです。
噴水の岩の上の像は、4つの大河=ナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタ を現しているということを
後から知って、ちゃんと見てこなかったことを帰ってからすごく後悔・・・(泣)。
噴水の上のオベリスクにばかり、気をとられていたのです。


ナヴォーナ広場2

広場には地元の人も観光客の人も、たーくさんいました。
絵描きさんが絵を売っていたり、小さなお店も出ていました。
こっちの端から、あっちの端まで、うろうろ楽しみました☆

建物が立ち並ぶ街の中にあるこのナヴォーナ広場は、車も入ってこず、建物に囲まれているので
ヨーロッパの空気を感じながら、ゆったり休めるところです。
バジルの大のお気に入りです。(レモンを押し切って★3つにしました。)

反対側からも1枚! ↓
ナヴォーナ広場3

ナヴォーナ広場1

各噴水の頭の上には、鳩、ハト、Hato (^-^)
ちなみに手前の白い自由の女神?は噴水と一体化していますが、もちろん 人 です。


この広場を歩いていると、「ナカータ、ナカータ、トモダチ」と言って近寄ってくる人が
いるので気をつけましょう。手に付けられたら最後、お金を要求されます。



ギリシャ・イタリアの旅 『パンテオン』 編
パンテオン ( Pantheon ) ★☆☆
紀元前27年、皇帝アウグストゥスの娘婿アグリッパの命によって建立されたもので、
古代ローマの遺跡としては、最も完全な形を残している。
”パンテオン”とは”全ての神々の”と言う意味。

創建時はオリンポスの神々を祀るための神殿であったが、80年の災害で破壊され、
その後、118年にハドリアヌス帝が建て直した。ハドリアヌス帝は新しいプランで建て直し
を行い、その際正面の位置も180度回転されている。
その後7世紀に、ビザンチン皇帝のフォカス帝から時の教皇ボニファティウス4世に献上
され、聖母と殉教者を祀る教会となった。その為、他のローマ時代の遺構と異なり、破壊
や略奪を免れた。現在あるのは609年、キリスト教寺院として改築されたもの。

正面入り口にはコリント式神殿を模した16本の列柱を配し、内部は高さ43.3mもある球形
のドームに覆われ、頂には採光のための直径9mの天窓がある。
内部の壁には7つの大きな壁龕と8つの小祭壇が配され、かつては神々が祀られていた。
現在はエマヌエレ2世やラファエロ、ウンベルト1世などの墓が祀られている。


入り組んだ路地を入っていくと、パッと開けた場所にでます。パンテオンはそんな所にありました。
広場の周りはオープンカフェになっていて、お茶をする人や観光客があふれています。
たくさんの人を掻き分けて中に入ると、外の喧騒はウソのように、静かな空気が流れていました。
唯一の光源となっている天窓からの光が帯となって伸びていて、とても印象的でした。
中にもたくさんの観光客がいるのにとても静かで、時間と共に動く光の帯をじーっと眺めていると、
とても静かな気持ちになりました。
(パンテオンの内部を思い出して、ちょっぴり文学的な?厳かな?気分になったレモンです↑。)

ちなみにレモンは、外はあまりキレイではなかったので(衛生的に)、好きではありません。

パンテオン1

写真で見るとそうでもありませんが、入り口近くに立って上を見上げると、その大きさに
口があんぐりします。(注:決して上を見上げているからではありません。)

この時は、まだエジプトにも行ったことがなく、話題になった本「ダヴィンチコード」も出版されて
いなかったので、ダン・ブラウンを知らず、なので「天使と悪魔」も知らず、正面に立つ
オベリスクに対しては 「これ何?」 といった印象でした。
その後、エジプトでオベリスクを知り、「天使と悪魔」も読んだ後に行った2回目のイタリア
旅行では、改めてオベリスクに注目した二人でした。
(注:「天使と悪魔」にはこのオベリスクは出てきません。 確か・・・。
    少し話の内容を忘れ気味なので、記事を書くときには又読まないと201
    あっ「天使と悪魔」はローマを舞台にした話です。)

(ちなみに2回目の旅では、「天使と悪魔」をテーマに観光して、本に出てくる5箇所?の
ポイントを巡りました。いずれまた、イタリア旅行2でご紹介します☆☆☆)

パンテオン2

勉強不足で行ったので、肝心のところまで入りきれていない写真です・・。

中にいる人は、静かに内部の壁際にある祭壇やお墓をみていました。
見ていない人は、入ってくるときと同様、壁面のモザイクや天窓からの光を見上げて
口をあんぐりしていました(笑)。 
皆さん何故か、天窓から差し込んでくる光の帯は、触れてはいけない、踏んではいけない、
大切なもののように、そっとさけて歩いていました。
(やはり今日のレモンは、少ーしばかし文学的?な気分のようです(汗))


ギリシャ・イタリアの旅 『バチカン市国』 編 その3

クーポラ(Cupola)★★★

朝早く起きて、サンピエトロ寺院の上まで上がってきました。

サンピエトロ寺院の向かって右側奥にクーポラの入場券売り場があり、2種類のチケットを
売っています。エレベーターを使うか階段で登るかで料金が違います。

私たちは、エレベーターで上がりました。
といってもクーポラの入り口までで、そこからは全員階段で登らなければならず、
それが結構辛い201
しかも丸屋根の中を歩くので、上に上がるほど通路が斜めになってきます。
足元も上半身も斜め。平衡感覚もおかしくなって途中で気持ち悪くなってきます。

でもそれを登りきれば、↓
バチカン上1

この景色です!!!
あいにくの曇り空ですが、そんなものは関係なくなる程、素晴らしい景色でした。
二人で、地図を見ながらローマの待ちを眺めました。

バチカン上2

バチカン博物館のほうを撮ってみました。
左側の緑の庭から見学コースは始まります。


エレベーターを上がったところで、一旦外に出ます。
ここからの景色もステキです。クーポラを見上げて写真を撮りました。
そしてここには小さなお店もあります。絵ハガキやバチカンに関する色々なものが売っています。
ここに来た記念に絵ハガキを買って、両親や自分宛に手紙を書きました。
切手も売っているので、お店の外にある黄色いポストから投函できます。
サン・ピエトロ寺院の上から絵はがきを送るなんて、ステキかなぁと思って237



ギリシャ・イタリアの旅 『バチカン市国』 編 その2

バチカン博物館 ( Musei Vaticani )★★★
世界でも指折りの美術館。歴代法王が財力を注ぎ込んで集めた、その時代の最高の
プライベート・コレクションの集大成。
美術館は教皇の住居、公式行事のための広間や礼拝堂のあるバチカン宮殿にあり、
また、時の教皇が思いのままに増改築を行ったため、内部は迷路のようになっている。
見学コースは全長7km(!)、総面積4万2000㎡にも及ぶ。

ツアーの中には一口にバチカン観光と言っても、入場観光はサン・ピエトロ大聖堂だけで、
博物館には入らないツアーもたくさんあります。
規模が大きすぎるのと、入るために並ばなければならないからでしょうか。
私たちも、ツアーの皆さんと一緒に朝から列に並びました。
この列も朝の定番風景のようで、列に並ぶ人々にアイス等を売る売り子さんもいました。
(ツアーで入ってない場合は、OPツアーが用意されているそうです。)


<八角形の中庭 (別名 ベルヴェデーレの中庭>
かつてのオレンジが繁る庭に、ユリウス2世が所有していた彫刻を運び込ませたのが
そのはじまり。

・『ラオコーン』 1506年にコロッセオ近くのエスクィリーノの丘から発見され、その素晴らしさから
          発見直後にユリウス2世が買い上げ、コレクションに加えた。
          紀元前1世紀後半、ティトゥス帝の要望で、ロードスのギリシャ人がローマに来て
          彫ったと記録が残っている。 題材は、
          「ギリシャ人が差し出した”女神アテナへの供え物”の木馬に、トロイアの司祭で
           あったラオコーンが槍で一撃したため、怒ったアテナが蛇を送ってラオコーン
           と2人の息子を殺した」   というエピソードから。
バチカン6

苦しむ表情やよじった体の様子、迫力がありました。

いよいよ、内部の見学開始です! 
バチカン5

大勢の人々にもまれながらの見学になります。
入ってすぐに足が止まりました。 右も左も、そして上までもが絵画や彫像でいっぱい!!!
どこに目をやったらいいのか、一歩一歩がなかなか進みません!


内部は写真が撮れませんでした。表現力に乏しい私たちが、写真も無しでそのスケールを
伝えるのは、不可能ですっっ240201
せめて、美術品に関して全く無知な私たちでも ”これは知ってるぞ!見たことあるぞ!”
ってものだけでも書いてみます☆



<ラファエロの間 ( Stanze di Raffaello ) ★★☆>
ユリウス2世が、自らの居室にラファエロにフレスコ画を描かせたので、この名前が
ついている。ラファエロの死後は弟子たちが引き継ぎ、1524年に完成させた。
部屋は全部で4室あるが、第2、第3室が特に素晴らしい。

・『アテネの学堂』 古代の科学者や人文学者が一堂に会する学問の理想郷を描いたもの。
            画の中に、古代ギリシャの哲学者に当時のルネッサンスを代表する画家の
            肖像を重ねて描かれている。
            プラトン→レオナルド・ダ・ヴィンチ (中央左。天を指している人物)
            ヘラクレイトス→ミケランジェロ
            ユークリット→ブラマンテ (右側にひざまずきコンパスを持つ)
アテネの学堂


ラファエロはダ・ヴィンチとミケランジェロをとても尊敬していて、二人を絵の中に描いたそうです。
たくさんの人が、モデルになった二人と、ラファエロを探していました。(私たちも!)


<システィーナ礼拝堂 ( Cappella Sistina ) ★★★>
15世紀後半、シクトゥス4世の命により建造された。バチカン博物館の最高傑作。
法王選挙=コンクラーベの行われる場所でもある。

礼拝堂は縦40.23m、横13.41m、高さ20.7m、取り囲む天井、壁面それぞれが力強い絵画の
画面構成で圧倒される。
 
-側壁-
   礼拝堂の窓の下には、ボッティチェッリ、ギルランダイオなど当時の有名画家が担当。
   北面(祭壇右)は 『キリスト伝』をテーマに、南面(祭壇左)は『モーゼ伝』をテーマに
   それぞれ6枚のフレスコ画が描かれている。

    北面(祭壇右)の『キリスト伝』- 『キリストの洗礼』           ペルジーノ
                         『キリストの誘惑』           ボッティチェッリ
                         『最初の使途の召し出し』      ギルランダイオ
                         『山上の垂訓』             コジモ・ロッセッリ
                         『鍵の依託』               ペルジーノ
                         『最後の晩餐』             ロッセッリ
    南面(祭壇左)の『モーゼ伝』 - 『モーゼの旅』              ペルジーノ
                         『モーゼの生涯の出来事』      ボッティチェッリ
                         『紅海を渡る』              ロッセッリ
                         『十戒を受け取るモーゼ』      ロッセッリ
                         『コラ人ダタンとアビラムの処刑』  ボッティチェッリ
                         『モーゼの掟』             ルカ・シニョレッリ
   列挙してみましたが・・・わかりませんね202 それともそれはわし達だけ?

 -天井 フレスコ画-
   ミケランジェロが担当。(←しぶしぶ担当しています179
   ミケランジェロは、この天井画を4年かけてたった一人で完成させたそうです。
   たった一人礼拝堂にこもり、教皇をはじめ誰にも途中経過を見せなかったと
   言われています。
   天地創造から人類再生の歴史が描かれています。
   あまりにも壮大なものなので、よく部分ごとに取り上げて写真で紹介されています。
   有名なもの(=私たちでも知っていた部分)には、”アダムの創造””楽園追放”などが
   あります。

 -西面 『最後の審判』

   祭壇奥の壁面にある有名なミケランジェロの傑作。
   天井画から24年後、60歳を過ぎてからとりかかったミケランジェロは、縦14.5m、横13mの
   画面を450に分割し、1区間を1日と決め、450日あまりで仕上げたと言われています。
   当初、キリストをはじめいくつかの裸体像が描かれていたのがスキャンダルの種となり、
   ピウス4世の命によって腰布が加筆されたそうです。
   現在は修復により一部が取り除かれ、ほぼ完成当時のままを見ることができます。

   また、絵の中にはミケランジェロの自画像が描かれています。キリストの左下にいる白い
   顎鬚の老人、聖バルトロマイが手にしている生皮(!!)がそれです。
   さらに、画面左下の墓場で死者に話しかけている修道士が、ミケランジェロの理想像を
   表していると言われています。
   天国に召されることも、地獄に堕ちることもない宙ぶらりんの生皮と、死者に救いの手を
   差し伸べている修道士・・・。う~ん・・・。


あまりに広くて、最後にシスティーナ礼拝堂にたどり着いたときにはぐったりでしたが、
最高レベルの芸術に触れることが出来て幸せでした。
特にシスティーナ礼拝堂は圧巻でした。素晴らしかったです☆(レモン)
広すぎて疲れました・・(バジル)



ギリシャ・イタリアの旅 『バチカン市国 』編 その1

サンピエトロ寺院 ( Basilica di San Pietro ) ★★★
古代ローマ時代の初代ローマ法王ペテロが殉教した地に、ローマ皇帝として初めて
キリスト教に改宗したコンスタンティヌス帝が、キリスト教教会を建立したのが
大聖堂の前身。
(349年に完成) 

1452年、ニコラウス5世により再建の命がだされたが、本格的な工事が始まったのは、
ユリウス2世の治世下である1506年のことである。当時の一流の建築家、芸術家が
技を結集させた。

建築家ブラマンテ、ラファエロ、ペルッツィ、サンガッロと工事は引き継がれたが、設計
プランの変更などにこだわり、以降1546年にミケランジェロが就任するまで、工事は
棚上げされた。ミケランジェロはブラマンテのプランを生かしつつ、中央に巨大クーポラ
(円屋根)を載せる計画をたてる。彼の死後、工事はジャコモ・デッタ・ポルタやマデルノ
に引き継がれ、最終的に完成したの、1626年。

ミケランジェロはドームを支える円筒部分と支柱などを制作したとされる。
ベルニーニは大聖堂の内部の彫刻・装飾や広場の大柱廊の建造などを担当している


バチカン7

レモンの好きな一枚です。サンピエトロ寺院に夕日が当たって、荘厳な雰囲気です。

<大天蓋>
ドームの下には教皇の祭壇があり、ブロンズの大天蓋で覆われている。
この天蓋は、ベルニーニが助手のボッロミーニとともに1633年に完成させたもの。
バチカン1
  ↓ 教皇の祭壇に近寄ってもう一枚!
バチカン2

少しわかりにくい写真ですが、オレンジ色の丸い??(何ていうんだろう・・・)の下辺りに
教皇が座るところがあります。
こんな高いところ、怖くないのかなぁ・・・。たくさんの信者さんを見渡せるようにかなぁ。

<ピエタ>
ミケランジェロ作。 1499~1500年にかけて制作された傑作。
バチカン8

柵の向こうにガラスケースに入ってありました。
気品と優しさが感じられる表情。布の感じ。
そこだけ空気がとまったような、まさに傑作でした。
(うぅ~ん・・・語彙力ないなぁ。表現力も・・・(泣))

ミケランジェロが生涯手がけたピエタ像(=母マリアが息子キリストの屍を抱き嘆き悲しむ図)
は、全部で4体あるそうです。
   ・「ピエタ」             サン・ピエトロ大聖堂 (ローマ)
   ・「ロンダニーニのピエタ」   スフォルツェスコ城美術館 (ミラノ)
   ・「パレストリーナのピエタ」  アカデミア美術館 (フィレンツェ)
   ・「ドゥオーモのピエタ」     ドゥオーモ付属美術館 (フィレンツェ)

「ロンダニーニのピエタ」は亡くなる3日前まで制作していたそうです。未完成です。
ミケランジェロはこの主題に特別な思いがあったのかな・・なんて思ってしまいます。
  
<聖なる扉>
バチカン3

8本の円柱が並ぶファサードをくぐると、5つの青銅の扉があります。
左から、「死の扉」「善と悪の扉」「旧大聖堂の扉」「秘跡の扉」「聖なる扉」。

<衛兵さん>
バチカン4

バチカン市国を守る衛兵さんです。
伝統的にスイス人の衛兵さんに任されているそうです。
本当に目を引く、個性的な制服・・・。思わずピエロをイメージしたって言ったら怒られるかなぁ・・。
でもこの制服は、ミケランジェロがデザインしたれっきとした(?!)ものです179
(たくさんの観光客が、衛兵さんを撮ろうと頑張っていました。レモンはそんな方々から
少し離れた所にいらっしゃった衛兵さんを、望遠でパチリ68!)

バチカン市国は広くはありませんが、ゆっくり見学していたら日が暮れそうなボリュームです。
サン・ピエトロ大聖堂だけでも、ゆっくりしていたらあっ!という間に時間が201
バチカン博物館の方は、もちろん時間的にもそうですが、脚や腰が悲鳴を上げます201
一つ一つがすばらしく、私たちの乏しい表現力ではそれをご紹介するのは不可能・・・。

バチカンの領土(教皇領)は、このサンピエトロだけかと思っていましたが、他にもあるそうです。
2回目のイタリア旅行の際は、あまりに勉強不足だった1回目を反省して、少し勉強した私たち。
(もちろん、またも浅く広くです(汗)。) いつかまた記事にしたいです☆

いつになく頑張ったレモンがお届けしました☆☆☆



ギリシャ・イタリアの旅 『コロッセオ』 編 その2
ローマで買った本に、コロッセオの復元図が載っていましたので、紹介します。
屋根があったそうです。 ビックリ!!!!です。

<現在>
コロッセオ2-1

<過去(屋根なし)>
コロッセオ2-2
各階壁面のアーチの中には全て像が飾られていました。

<過去(屋根あり)>
コロッセオ2-3




ギリシャ・イタリアの旅 『コロッセオ』 編 その1


コロッセオ(Colosseo)★★☆
ヴェスパシアヌス帝の命で72年に建設が始められ、8年の歳月を費やして、その息子
ティトゥス帝の時代に完成した。
当時は、皇帝の家名をとって、フラヴィオの円形劇場と呼ばれていた。
長径188m、短径156m、周囲527m、高さ57m、収容人数約5万人という、文字通り
巨大(コロッサーレ)な建築物だった。
名前の由来は、コロッサーレからだとも、ここにネロ帝の巨像(コロッソ)があったから
だとも言われている。 コロッセオが出来る前、ここはネロ帝の黄金宮殿の一部だった
からである。

4階からなる外側は、下の層からドーリア式(ドリス式)、イオニア式、コリント式の柱で
飾られ、内部は観客席が身分性別によって仕切られていた。

落成の折には、剣闘士や猛獣の殺し合いをはじめとする催しが100日間も続いたと言う。
閉鎖される523年までの間にはおびただしい数の人間と動物たちが殺された。
こうした見世物を提供して庶民の人気を稼ぎ、社会に山積する問題から目をそらさせる
ことは、当時の支配者の重要な政策の一つでもあった。

キリスト教公認後、これらの血なまぐさい見世物は次第に下火になり、6世紀半ばには
廃止された。その後、例に洩れずコロッセオも格好の建築資材の提供の場となり、
表面を飾っていた大理石や上階部分の石材が持ち去られてしまった。

ここは外観見学のみの予定だったのですが、ちゃきちゃきおばちゃま添乗員さんの
「皆さん、どうせ中を見ようと自由時間に戻ってきますよね
 時間がもったいないから今入っちゃいましょう278!」 というステキな一言で、
入場見学できることに237
コロッセオは中心から少ーしだけ離れているので、限られた自由時間を考えると
本当にありがたかったです178

コロッセオ1

競技場の床部分は失われているため、地下の空間が見えます。
ここに猛獣の檻や、エレベーターのような舞台装置がありました。

コロッセオ2

中は広いです。外から見てイメージしていたのとは規模が違いました。
剣闘士や猛獣の戦いだけでなく、水を張って模擬海戦も行われていたそうです。

コロッセオ3

外からではわかりませんが、中は二重構造になっています。

コロッセオ4

外側の壁が無くなっているところがありました。
構造がよくわかるように、横から撮影68してみました。

その規模や、構造にまず驚きました。
その後は、当時に思いを馳せ、少し悲しい気持ちになったレモンでした・・・。



ギリシャ・イタリアの旅 『イタリア到着』 編

旅の4日目。朝のうちにアテネを飛び立ち、お昼にはローマに到着。
早速、観光開始です。

その前に、旅のおさらいです。

【 旅の形 】  ツアー型 (JTB 『 エーゲ海ミニクルーズと永遠の都ローマ 』 )
【 飛行機 】  日本航空
【 ホテル 】  アテネ : アテネーム・インターコンチネンタル
           ローマ : スターホテル・ミケランジェロ
【 OPツアー】   ナポリ・ポンペイ1日観光
【 日 程 】  2002年5月20日~5月28日

1日目(5/20) 成田37→パリ37→アテネ (深夜ホテル着)
2日目(5/21) アテネ (午前:自由行動、午後:市内半日観光)
3日目(5/22) エーゲ海ミニクルーズ
4日目(5/23) アテネ37→ローマ (午後:ローマ市内半日観光)
5日目(5/24) ローマ (午前:市内観光、午後:自由行動)
6日目(5/25) ナポリ・ポンペイ1日観光
7日目(5/26) ローマ (終日:自由行動)
8日目(5/27) ローマ散策→夕方ローマ37→ミラノ37
9日目(5/28) →成田 



イタリアってこんな国

 
イタリア国旗

【 国 名 】 イタリア共和国 (Republic of Italy)

【 面 積 】 30万1328km2   (日本の約80%)

【 人 口 】 5,813万人 (2006年)

【 首 都 】 ローマ

【 言 語 】 イタリア語

【 通 貨 】 ユーロ (1€=162.56円 2007年5月現在)

【世界遺産】 ☆ ヴァルカモニカの岩絵群                (文化遺産)(1979年)
         ☆ レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がある
            サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と
            ドメニコ会修道院                    (文化遺産)(1980年)
         ☆ フィレンツェ歴史地区                  (文化遺産)(1982年)
         ☆ ヴェネツィアとその潟                  (文化遺産)(1987年)
         ☆ ピサのドゥオモ広場                   (文化遺産)(1987年)
         ☆ サン・ジミニャーノ歴史地区                (文化遺産)(1990年)
         ☆ マテーラの洞窟住居                  (文化遺産)(1993年)
         ☆ ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方の
           パッラーディオ様式の邸宅群             (文化遺産)(1994・1996年)
         ☆ シエナ歴史地区                     (文化遺産)(1995年)
         ☆ ナポリ歴史地区                      (文化遺産)(1995年)
         ☆ クレスピ・ダッダ                     (文化遺産)(1995年)
         ☆ フェッラーラ:ルネサンス期の市街と
           ポー川デルタ地帯                   (文化遺産)(1995・1999年)
         ☆ デル・モンテ城                      (文化遺産)(1996年)
         ☆ アルベロベッロのトゥルッリ               (文化遺産)(1996年)
         ☆ ラヴェンナの初期キリスト教建築物群         (文化遺産)(1996年)
         ☆ ピエンツァ市街の歴史地区               (文化遺産)(1996年)
         ☆ カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァン
           ヴィテッリの水道橋とサン・レウチェ邸宅群     (文化遺産)(1997年)
         ☆ サヴォイア王家の王宮群                 (文化遺産)(1997年)
         ☆ バドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)          (文化遺産)(1997年)
         ☆ ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群   
            (パルマリア、ティーノ及びティネット島)      (文化遺産)(1997年)
         ☆ モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ
            広場                           (文化遺産)(1997年)
         ★ ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィア
            -タの遺跡地域                    (文化遺産)(1997年)                      ☆ アマルフィ海岸                       (文化遺産)(1997年)
         ☆ アグリジェントの遺跡地域               (文化遺産)(1997年)
         ☆ ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ          (文化遺産)(1997年)
         ☆ スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ            (文化遺産)(1997年)
         ☆ アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バジリカ  (文化遺産)(1998年)
         ☆ ウルビーノ歴史地区                  (文化遺産)(1998年)
         ☆ バエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含む
           チレントとディアノ渓谷国立公園とバドゥーラの
           カルトゥジオ修道院                     (文化遺産)(1998年)
         ☆ ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)           (文化遺産)(1999年)
         ☆ ヴェローナ市                        (文化遺産)(2000年)
         ☆ エオリア諸島                        (自然遺産)(2000年)
         ☆ アッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群  (文化遺産)(2000年)
         ☆ ティヴォリのエステ家別荘                (文化遺産)(2001年)
         ☆ ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々
           (シチリア島南東部)                   (文化遺産)(2002年)
         ☆ ピエモンテとロンバルディアのサクリ・モンティ   (文化遺産)(2003年)
         ☆ オルチア渓谷                       (文化遺産)(2004年)
         ☆ チェルヴェテリとタルキニアの
           エトルリア古代都市群                  (文化遺産)(2004年)
         ☆ シラクーザとバンタリカの岩壁基地遺跡        (文化遺産)(2005年)
         ☆ ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェと
           バラッシィ・デイ・ロッリ制度               (文化遺産)(2006年)
 
【イタリア共和国及びバチカン市国 世界遺産】 
         ★ ローマ歴史地区、教皇領と
           サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂      (文化遺産)(1980,1990年)

【航空会社】 アリタリア航空

【有名企業】 フィアット        (自動車)
         ピレリ             (タイヤ)
         ベネトン         (ファッション)
         グッチ             (ファッション)
         ブルガリ         (ファッション)
         プラダ            (ファッション)
         アルマーニ     (ファッション)
         ヴェルサーチ  (ファッション)
         フェラガモ       (ファッション)
         
【有 名 人】 レオナルド・ダ・ヴィンチ   (画家・彫刻家・建築・土木 他種々の分野 『最後の晩餐』
                         『モナ・リザ』 『受胎告知』 『ウィトルウィウス的人間』)
        ガリレオ・ガリレイ             (科学者・天文学者)
        サンドロ・ボッティチェッリ (画家 『ヴィーナスの誕生』 『春』)
        ミケランジェロ・ブオナローティ (画家・彫刻家 『最後の審判』 『ダビデ像』)
        ラファエロ・サンティ          (画家 『アテナイの学堂』)
        アントニオ・ヴィヴァルディ (音楽家)
        ダンテ・アリギエーリ        (作家 『神曲』)
        ジョヴァンニ・ポッカッチョ  (作家『デカメロン』)
        ジョズエ・カルドゥッチ         (ノーベル賞作家)
        ルイージ・ピランデッロ       (ノーベル賞作家)
        ダリオ・フォ                          (ノーベル賞作家)
        ロベルト・ベニーニ               (映画監督)
        ルチアーノ・パヴァロッティ      (歌手)
        アレッサンドロ・デル・ピエロ   (サッカー)
        ヴァレンティーノ・ロッシ         (Moto GP)
        ソフィア・ローレン                   (女優)

イタリア地図




ギリシャのお土産



ギリシャ土産1 ギリシャ土産2
イドラ島のお店で買いました。
お土産屋さんで、二人がそれぞれ”一番ギリシャっぽいもの”を選んだ結果、
この2つになりました。

一つの国で一つ、その国の思い出となるお土産を買って、いつの日にか、大豪邸にそれを
並べて飾ろうと話している二人。 (もちろん、大豪邸はまだ建っていません229
ギリシャには革製品など有名なものもありますが、今回二人のおめがねにかなうものが
見つかりませんでした。
ならば!、いかにもギリシャらしいものを!!と、これを選びました。
(なので、安価です。 でも値段は関係ないのです。 この旅を思い出せる品物です。)



ギリシャ土産3
ローマへ向かうためアテネ空港へ。
2年後のアテネ・オリンピックに向けて、アテネ空港には専用ブースが設けられ、
オリンピック色が強くなっていました。
グッズもたくさんおいてあったので、せっかくオリンピック開催予定地に来ているのだからと、
このピンバッジを買いました。
(世界にはオリンピックのピンバッジを集めている人がたくさんいるそうです。
そこは、ミーハーなわたしたち。即購入! 長野でも買っておけばよかったな。)



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ・エギナ島 』 編

エギナ島(AEGINA)★☆☆
ピレウスから約30kmに位置する島。
島の人口は約1万4000人。サロニコス諸島の中で最も人口が多い。
古代に独立ポリス(都市国家)として栄え、アテネのライバル関係にあったほど、
その勢力は強大なものだった。
1827~1829年の独立戦争中には、一時的だがギリシャの首都でもあった。183

エギナ島1
今までの島と比べて、とっても都会。
車もたくさん走っていて、小さな島という感じはあまりしないです。
かつて(一時的でも)、 ギリシャの首都! になっただけはあるなぁ。

<聖ネクタリウ修道院?>
エギナ島2
途中、この修道院に立ち寄ったのですが、名前を忘れてしまいました238
たぶん、”聖ネクタリウ修道院”だと思うのですが・・・。

<アフェア神殿>
エギナ島3
紀元前6世紀末から紀元前5世紀にかけて建てられたもので、アルカイック時代後期の
神殿のなかでも、最も優れた建築のひとつ。
32本あったドーリア式の石柱のうち、現在でも24本が残っている。石柱は、エギナ島で
取れる石灰岩で造られていて、その大部分がアルカイック時代の特色である一枚岩で
出来ている。

柱がほとんど残っていて、在りし日の姿が想像できる神殿です。
長い年月、頑張って残っていてくれてありがとう!

神殿に着いた時は、本当に本当に暑くて・・・1 (泣)
この神殿を思い出すときは、暑さも一緒についてきます229



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ・イドラ島 』 編

イドラ島 ( Hydra ) ★★★
東西20km、南北5kmの細長い島。人口は約2800人。
緑に覆われたエギナ島やポロス島に比べると、緑は少なく、白っぽい岩石の島といった
印象を受ける。しかし、海水の透明度は2つの島よりも高い。
この島では自動車やバイクの乗り入れが一切禁止されている。

18~19世紀にかけて、イドラの商人たちは海上貿易で成功を収め、巨万の富を得る。
1821年からのギリシャ独立戦争で、彼らは自分たちの持ち船を武装させ、海戦で大活躍
する。ギリシャではとても有名な話で、現在でもイドラ島はギリシャ人たちの間で英的な
島として人気が高い。
島に立ち並ぶ大邸宅は、ほとんどがこの商人たちによって建てられたもので、昔から
高級リゾートとして名を馳せた。

丘の頂上には15世紀に建てられたプロフェト・イリアス修道院が建つ。
その近くには16世紀に創建されたアギア・エフラクシア修道院がある。
また、港の前にはバシリカ建築の代表的作品の一つである大聖堂が建つ。
1774年に建築された。

イドラ島1

イドラ島2
クルーズ2つ目の島となるイドラ島。
この島もステキ233

でも、同じエーゲ海の島なのにポロス島と何か感じが違う。。。
あっ、車がない! 代わりにロバ279!?がいる183。 


イドラ島3
島の中の唯一の移動手段は、ロバ279。 
観光客向けのロバタクシー?もたくさんいました。


イドラ島4
絵のような風景176176
何度見てもステキです。この風景。
路地を一つ入っただけでこんな感じです。迷子になってみるのも楽しそう189
(でも集合時間に遅れたら、船は本気で行ってしまいます229


イドラ島5
海辺のレストランです。
リゾートチックでしょ。

リゾートと言えば、ピスタチオのアイスが有名ということで、はりきって食べてみました。
幸せ気分でパクッ!!  うっ!!! 238240282!!! 
・ ・  ・ ・ ・ 微妙232263
試しに食べてみる分にはいいですが、それほど期待しないほうがいいです263


イドラ島6
この島では猫もこの通り、まったり気分でした。
街にあるが本当にステキです!!!



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ・ポロス島 』 編

ポロス島  ( Poros ) ★★★
東西10km弱の小さい島。カラヴリアとスフェリアという2つの島からなっている。
(両島の間には水路があり、小さな橋が架かっている。) 人口は約4000人。
低い丘の斜面に赤い屋根をつけた白壁の家々が並び、オリーブや松の木が茂る丘との
コントラストが美しい。
島には紀元前6世紀に建てられたポセイドン神殿跡と、18世紀に創建された
ゾオドコス・ピギ修道院がある


ポロス島1
時計台が目印のポロス島が近づいてきました189
白い壁とオレンジの屋根で統一された街並みが見えてワクワク233

ポロス島2
ヨットに乗って優雅なひと時を過ごす人たち102
エーゲ海の青い海によく似合うなぁ228
ここは時間の流れがゆったりしています。

ポロス島3
これぞ私たちがイメージしていたとおりのエーゲ海の街237189
い空。 明るい太陽の光1。 白い家。 赤や青の窓。 細い階段と小道。
遠くに人の声と鳥のさえずりが聞こえるだけ。

ポロス島5
到着すると、まずみんな一気に時計台まで駆け上がります246。(これが結構きつい201
そして上からの景色を楽しんだ後、思い思いの小道を降りて、港の船に戻ります。

ポロス島4
本当に小さな島ですが、エーゲ海のイメージにピッタリの素敵な島でした。



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ 』 編

旅の3日目。 楽しみにしていた ”エーゲ海ミニクルーズ36 ” に出発です237

実は当初、エーゲ海の島々を旅するツアーを検討していました。 ところが、
レモンはミコノス島+クレタ島に行きたい!バジルはミコノスorサントリーニ島+ロードス島
に行きたい! と、意見が合わず・・・。 間をとってミコノス島とロードス島にしようと話が
まとまったところで調べてみると、この組み合わせはないとのこと。232202
結局、旅行社のおじさんの「島ばっかりだと意外とつまんないよ~」の一言で、今回のツアーに
変更したのでした。

このクルーズはアテネ近郊の海辺の町、ピレウスから船が出て、サロニコス湾にある
エギナ島、ポロス島、イドラ島をまわります。
近場のクルーズでも、エーゲ海が充分に味わえる?とのことなので、ほんっとうに楽しみ


船に乗り込み、太陽の光を恐れることなくそのままデッキへ。そこには世界各国の人々が。
みなさん用意されたデッキチェアーを思い思いの場所に移動させて寝そべってます。
私たちもさっそく!! (うっ・・あっ 暑い!!!1

エーゲ海クルーズ1
出発してすぐに、右手に建設中のオリンピック競技場が。
2年後にはアテネでオリンピックです。

エーゲ海クルーズ2
ところ狭しと座ったり寝そべったり。
この時ばかりはレモンも、日焼け防止より、太陽の光と風を楽しむことに。

エーゲ海クルーズ3
青い海、カモメたち、ギリシャの旗。 本当によく似合います。102
カモメたちがずーっと船を追いかけてきます。

エーゲ海クルーズ4
帰りの船内では音楽と踊りのショーがあります。
この後、レモンとバジルはすっかり巻き込まれ、みんなの前でくるくる踊らされました6



ギリシャ・イタリアの旅 『 アテネ散策 』 編

限られた自由時間でほんの少しアテネを歩いてみました。

ミトロポレオス大聖堂  (Mitropoleos Cathedral )

アテネ最大のギリシャ正教教会。
1840年から15年の歳月を費やして建造された。大統領の宣誓式など国家行事の大半はここで行われる権威ある教会。

アテネ散策1


エルムー通り
ショッピングストリート。道の両側にはブティックがズラリと軒を連ねている。
アテネ散策2


シンタグマ広場 ( Syntagma Square )
シンタグマとはギリシゃ語で”憲法”の意味。
1834年、最初の憲法がここで発布されたことにちなんで命名された。
アテネのほぼ中心に位置し、街のヘソと言える。
アテネからギリシャ各地への距離は、すべてこのシンタグマ広場から測られている。

アテネ散策3

例のごとく、街に散策にくり出した途端、どしゃ降りの大雨3240
一瞬にして広場は水浸し。アテネ市民の皆さんもつるっつる滑りながら緊急避難です。
(ごめんね・・・私たちが来たから?!・・・240202


衛兵さん
アテネ散策4

ガイドさんいわく、衛兵さんは”頭の良さ”よりも、”顔の良さ”で選ばれるそうです。
「キュートでかわいいハンサムマンでしょ~178」って強調されていましたが、私たち的には・・・
微妙です。・・・。229


ローマン・アゴラ  & 風の神の塔 ( Roman Agora & Tower of Winds ) 
アゴラとはギリシャ語で”市場のある広場”を意味する。
古代アゴラの東に隣接して広がる広場。
ローマ時代初期(紀元前1世紀~紀元後2世紀)ににぎわったところで、
北東部の入り口付近に建つ八角型の風の塔が目印。(写真中央より少し右)
この塔は1世紀に天文学者アンドロニコスが建てたもので、かつては日時計、水時計、
風見の3役をこなしていたと言う。
塔の8面は、それぞれ正確に東西南北と、北東、南東、南西、北西を指し、壁の上部には
それぞれの方向の風の神のレリーフがある。

アテネ散策6


プラカ地区
アクロポリスの丘の麓から北東にかけて広がる。
19世紀の街並みを今に残すアテネの旧市街。細い路地が迷路のようにして入り組む街は、
昼夜の区別なく市民や旅行者たちでにぎわっている。

アテネ散策5

写真の場所はプラカ地区の外れも外れです。時間があれば、プラカ地区のメインストリート 
キダシネオン通りやアマリアス通りを散歩したかったですが、時間がなく、ほんの触りだけに
なってしまいました。



ギリシャ・イタリアの旅 『 オリンピックスタジアム 』 編

オリンピックスタジアム ( Olympic Stadium ) ★★☆
オリンピックスタジアム2 オリンピックスタジアム3
                                           ↑クリックで拡大。
オリンピックスタジアム1
1896年、第1回近代オリンピックが開催されたところ。
紀元前331年に、パン・アネテ大祭の競技場として造られたのが始まり。
(当時は観客席というものはなく、見物人はみな土手の斜面に立っていた。)
その後、競技場は荒廃していたが、第1回近代オリンピックの開かれる前年、アレキ
サンドリアの富豪アベロフの援助を受けて、古代の競技場に近い形に復元された。
座席は大理石で出来ており、約50,000人が入場可能。トラックは馬蹄型をしている。

近代オリンピック発祥の地ということで、トラックでお約束の”クラウチングスタート246”を
してきました。
座席等は大理石で出来ているだけあって、全く古さを感じさせないのですが、この日は雨が
ふっていて、ツルッツル。すり足差し足で、なんとか競技場を一周しました。

競技場の入り口付近には、これまでのオリンピック開催地一覧の記載された碑がありました。
東京を見つけて、はしゃぐミーハーで無邪気な二人でした。278


<オリンピック>
オリンピックの起源は諸説あるが、古代オリンピックは、紀元前776年にオリンピアの聖域で第1回の祭典が開かれた記録が残っている。
これは、ゼウス神に捧げられたもので神聖な祭礼でもあった。
以来、オリンピック競技大会は4年に1度、夏至の後の満月に催されるようになる。
参加者の資格は、ポリスの市民権を持つ男子に限られ、選手たちは全裸で競技した。
晴れて故郷に戻った優勝者たちには、金品が贈られ優遇されたと伝えられる。
たとえ戦争中であっても、大会期間中は休戦された。
オリンピックは紀元前5世紀には最盛期を迎えるが、393年ローマ帝国はキリスト教を
国教としたため、ゼウス神の祭典を主とするオリンピックを異教徒の祭りとして禁止する。
以後、1896年に近代オリンピックが開かれるまでオリンピックは途絶えた。



ギリシャ・イタリアの旅 『 建築様式 』 編 

ギリシャを旅していると、”~式の柱”というフレーズをよく聞きます。
最初は気に留めなかった私たちも、何度も聞くうちに”それって何?”と思うように。
少しだけでも知ってたら遺跡を見る目も変わって面白いかなぁと思って、ほんのちょびーっと
調べてみました。
(毎度の事ながら、勉強は浅く広くです230


<オーダー>
ギリシャ建築・エトリアル建築・ローマ建築に遡る、柱と梁などの組み合わせや装飾方法のこと。
古典的オーダーは、ドーリア、イオニア、コリントの3種類が基本とされているが、これにコンポジット、トスカ-ナを加えて、5つのオーダーと呼ばれることが多い。


ドーリア式 (ドリス式)
ドーリア式
古典ギリシャ建築の様式のひとつで、オーダーの中では最もその起源が古いと考えられている。
柱頭に鉢形装飾や柱基を持たず、柱は太く短い。男性的で単純・素朴・力強いイメージ。
しばしば“荘重”と表現される。
代表的建造物はアテネのパルテノン神殿


イオニア式
イオニア式
渦巻き模様が特徴的なオーダー。紀元前6世紀ごろ小アジアで作成された。
紀元前5世紀ごろには、アッテカ半島で広く使用されるようになり、ヘレニズム時代には
ドーリア式に代わってほとんど全ての神殿建築に取り入れられた。
柱身や溝彫りも細かく、柱頭に渦巻き方を用いる。優美・女性的なイメージ。
代表的建造物はアテネのエレクティオン

コリント式
コリント式
紀元前5世紀頃に、アテネで発明されたオーダー。
柱頭部分はアカンサスの葉を模して作られている。通常は、柱頭に上下8枚ずつ、
互い違いにアカンサスが掘り込まれるが、装飾の豊かさと自由さからバリエーションも多く、
柱の装飾として好まれた。華麗なイメージ。
代表的建造物はアテネのオリンピア・ゼウス神殿


コンポジット式
”混合式”を意味する。柱頭の上下に異なったオーダーの要素を組み合わせたもので、
通常はコリント式の上部にイオニア式の渦巻き模様を載せた柱頭をもつ。
他にも、渦巻きの代わりに人や動物の頭をあしらったものもあり、バリエーションが多い。

トスカナ式
エトルリア(紀元前8~4世紀頃にイタリア半島にあった都市国家)に起源を持つ最も単純
なオーダー。単体では柱の直径や高さの比例が異なる以外、区別がつかない。



ペルーの旅 『 帰国 』 編

ただいま帰りましたっ237

行ってきました! マチュピチュ189189

感動のマチュ・ピチュをすぐにでも紹介したいところですが、
ここはグッと堪えて、ギリシャ・イタリアの旅のあとに紹介します。





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