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旅 時々 Photo ところにより にわか雨 
旅行と写真好きな管理人が、旅に関する色々な情報を自分勝手に提供します。☆☆現地情報やツアー情報等満載☆☆
世界の七不思議


昨日、テレビで『世界の絶景100選』をやっていました。

今回のテーマは、最近決定した 『 新世界の七不思議 』


世界の七不思議 ↓デス。

1.万里の長城(中国)
2.タージマハル(インド:アグラ)
3.ペトラ遺跡(ヨルダン:シャウバク南西)
4.コロッセオ(イタリア:ローマ)
5.マチュ・ピチュ(ペルー:クスコ北西)
6.チチェン・イッツァ(メキシコ:ユカタン)
7.キリスト像(ブラジル:リオ・デジャネイロ)


世界の七不思議は英語で
THE  7 WONDERS OF THE WORLD』といい、『不思議』という意味ではなく、『驚異的な』ものと考えたほうがよさそうです。

キリスト像や万里の長城などは、”スゴイ!”と思っても、”不思議”とは思わないなぁ・・って感じていましたが、”驚異的”なものといわれるとうなずける気がします☆



『新世界七不思議』は世界中からの投票で決まりました。でもそれだけではなく、ちゃんとした選定理由があります。

1.万里の長城・・・・・・人類史上最大の建造物
2.タージマハル・・・・・愛情と情熱が込められた世界一美しい墓
              ①約2万人の職人が集められた②国が傾く程の総工費
3.ペトラ遺跡・・・・・・・これだけの巨大遺跡を岩山の中に作り上げたこと
4.コロッセオ・・・・・・・観客席から競技を見守るというコロッセオのコンセプトが
現在まで続くこと
5.マチュ・ピチュ・・・・標高の高い場所にどのように都市を築いたのか
6.チチェン・イッツァ・・高度な天文学に裏付けられた奇跡の建造物
              ①1年365日をあらわす②春分・秋分の日にのみ遺跡に蛇の姿が現れる
7.キリスト像・・・・・・・南米で最も有名な建造物で、雄大な姿により驚きを感動を与える。
              
え~っと・・・うん??っていう理由も中にはありますね・・・。特にキリスト像なんて有名だからって・・それなら各大陸最も有名な建造物が選ばれるってことになるのでは???
心に引っかかることはたくさんあります202 でもTVのおじさんはこう↑言ってたのです201

(クレームはおじさんにお願いします201



『古代の世界七不思議』は紀元前2世紀にフィロンが書いた『世界の7つの景観』の中で紹介された建造物をいいますが、6世紀に入り、グレゴリウス司教などの提言で、当初フィロンが選んでいた『バビロンの城壁』が『アレキサンドリアの大灯台』と入れ替わり、定着したそうです。


古代世界七不思議 ↓デス。

1.バビロンの空中庭園(イラク:バグダッド) → 現存せず
2.アルテミス神殿(トルコ:エフェソス) → 現存せず
3.ハルカルナッソスの霊廟(トルコ:ポドルム) → 現存せず
4.ゼウス像(ギリシャ:オリンピア) → 現存せず
5.巨人像(ギリシャ:ロードス島) → 現存せず
6.アレキサンドリアの大灯台(エジプト:アレキサンドリア) → 現存せず
7.ギザの大ピラミッド(エジプト:カイロ)


番組を見て、ペトラ遺跡にはまったレモンバジルがお送りしました☆



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『 古代文明ミステリー 』



   『 古代ミステリー 幻の黄金帝国 インカに眠る12の謎 』


ペルーに行ってから、興味をもって色々勉強してきました。このブログも、写真&旅ブログなのにペルー専門ブログと間違われそうな勢いです229

昨夜のこの↑番組、ペルーなのに珍しくナスカの地上絵も空中都市マチュピチュもでてきまん。
でもそれがかえって新鮮!しかもその分他の部分が密度濃く、新たな発見、日本未公開のシーンも多く、見応えがありました。

今まで全く知らなかった”チョケ・キラウ”、いつか行ってみたいなぁ・・・。
でもここは日本での映像公開は今回が初めてとのことなので、私たち一般人が行けるようになるには一体いつになるかなぁ???はたして行けるようになるのかどうか。
考え方をかえれば、そんなところだから無事残っていたってことだし、これからも残っていきやすいのかも知れませんね。

それと今回、想像上とはいえ、クスコの黄金神殿を映像で見られて嬉しかったです。
ほっとんど破壊されて土台が残るのみのこの神殿、5月に訪れたときには一瞬でいいから見てみたかったなぁってすっごく思いました。
数少ない資料を基にした想像上の黄金神殿でも、私たちの頭の中の太陽神殿をイメージ化するのをとても助けてくれるものでした。


番組に出てきた12の謎とその答えをざっと書き出してみますね☆

謎1 スペインはインカからどうやって大量の黄金を得たのか?

    →スペインは皇帝アタワルパを捕らえ、アタワルパから解放の条件として、大量の黄金を引
      き出した。   

      詳しくは→『 インカ帝国滅亡 』



謎2 太陽神殿のトウモロコシは、なぜ黄金で作られたのか?

    →永遠を求めたミイラには、不死のもの=黄金のトウモロコシが必要だった。

      詳しくは→『 インカの黄金


謎3 インカの黄金技術のルーツは?

    →シカンから受け継がれた。

      詳しくは→『 シカン文化

      シカン文化の黄金技術はすばらしいものだった。一見純金に見えるそれは、実は銅との
      合金である。合金にすることにより強度が増し、さらに表面の銅を高温で酸化させ、表面
      に浮かび上がってきた中の銅を取り除き、植物性の酸で磨くことにより、純金製と同じ輝
      きを作り出した。
      銅を酸化させるには1000度以上の高温が必要だが、シカンの人々は、炉に取り付けら
      れた筒から息を吹き込むことによって高温を作った。
      シカンの黄金職人はチムーに連れて行かれ、その技術はインカへと伝わった。


謎4 インカはなぜ強大な帝国に急成長したのか?

    →インカ道で地方都市を結び、太陽信仰を伝えていった。

      太陽=神、皇帝=太陽の子 と考えられていた。


謎5 なぜ険しい山中に空中都市を築けたのか?

    →餓えのない社会、夢の福祉社会国家だった。


謎6 なぜ白いリャマが段々畑の壁に描かれたのか。(ロロ遺跡)

    →白いリャマは、神である太陽への生贄として描かれた。


謎7 なぜアンデスでは山岳文明が花開いたのか?

    →山岳地帯の気温差を利用することで食料を得、長い間、山岳地帯に暮らし、
      適応してきた民族であった。
 

謎8 なぜ、ロロ神殿の墓には子供や女性たちが多いのか?

    →女性貴族が埋葬されていた。


謎9 女性と銀の関係は?

    →補い合う2つの関係という考え方。

      太陽=金=男性、月=銀=女性 という考え方が存在する。


謎10
 ロロ神殿の逆さま埋葬の主は、なぜ頭が前を向いているか?

    →死者を移動させる行為が盛んに行われた。その為、時には損傷させることがあった。
           

謎11 インカはなぜミイラを必要としたか?

    →皇帝は死後もミイラとなり、生前と同じように扱われた。
      生前の領土もそのまま保有し、統治していくためにミイラが必要だった。

     詳しくは→『 インカ王の生活


謎12 太陽神像とはどんな形をしていたのか?

    →太陽神殿の中庭には黄金のトウモロコシと砂金の土、黄金の等身大リャマと牧夫の像、
      黄金の噴水があった。
      黄金の台の上には太陽神の像が飾られていた。神像は手のひらに乗るほどの小さなも
      のだったと考えられている。



確か、こんな↑感じでした。 (間違ってたらごめんなさい・・)

またいつか行ってみたいなぁって強く思いました。 
次はもっとおじさん&おばさんになった頃かなぁ。 おじいちゃん&おばあちゃんになる前には行きたいなぁ。





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『世界・ふしぎ発見!』 吉村先生ミイラ大発見2 新発見の木棺の封印を解く!

またペルーからとんでしまいますが、私たちがお休みしている間に、以前このブログでも紹介した
”エジプト未盗掘ミイラ” の続報が放送されました。



『吉村先生ミイラ大発見2
         新発見の木棺の封印を解く!』


今回、2007年1月に発見された未盗掘ミイラの木棺が開けられました。
(前回の記事で、未盗掘の木棺 のタイトルで書いたものです。)



未盗掘の木棺 アメン神殿の職工長 『 ウイアイ 』 の棺


棺が見つかった近辺から、ツタンカーメンゆかりの品や、王妃アンケセナーメンの名が刻印された
指輪が見つかっていることから、ツタンカーメンの側近である可能性が高いと考えられています。
アンケセナーメンの指輪は、ツタンカーメン王の墓からも発掘されていません。

棺の中には、布に包まれたミイラがあり、その布は焦げたように真っ黒になっていました。
ミイラの上には、王からしかもらえないはずの杖が置かれていて、単なるアメン神殿の職工長と
いうだけでなく、王から信頼得て、力を持っていたと考えられています。


続いて、

夫婦の木棺
   

夫の木棺は、保存状態がかなりよく、約3000年前の色彩がそのまま残っています。
妻の木棺は、マスクが壊れていて修復が必要で、現在もその修復作業中です。

今回、夫の木棺が開けられ、ミイラを包む人型の木棺が取り出されました。
保存状態が非常に良く、色がほぼ当時のまま残っていました。(筆のタッチが分かるほどです!)
木棺の模様は、古代エジプトでは珍しく、左右対称ではなく、
左にロータス(蓮)、右にパピルスが描かれていました。

木棺を包んでいた布がはずされた瞬間、私たち二人、感嘆の声をあげました!
TVごしに見てもこの感動、実際に目の前にしたら、いったいどんな気持ちになるのかしら。

また、今回、夫婦の名前が分かりました。

夫:セベクハト
妻:セネトイトエス

今まで、夫婦のミイラが同じ場所で発掘されたことはありませんでした。

夫のお墓を掘り起こして、後から亡くなった妻の棺を入れ直すという作業は、せっかくわからない
状態になって盗掘をまぬがれていたのに、ここにお墓があります!って示すようなことになるからだそうです。
なるほど・・・恐るべし盗掘者の目!
(でもいつの時代も女性の方が長生きなのか、吉村先生は ” 先に亡くなった夫 ” と言い切っておられました。)

では、なぜこの夫婦のミイラはは同じ場所から発見されたのか。

吉村先生の推測では、妻のミイラは、このすぐ近くで発見された中王国時代の軍指令官セヌウの娘で、夫のミイラはその婿養子であり、はじめから一緒に埋葬されるように決められていたと考えられています。


「 うん??? でもどうして、ウイアイの娘にはならないの??? 」
  というレモンの疑問に、当然のように
「 セヌウの方が偉いから 」
  とバジルが答えてくれました。

どこかTVで聞き漏らしたのかもしれませんが、そういうこと↑にしときますっ!



この方↓がセヌウです。


 


 



『世界・ふしぎ発見!』 古代ローマ地下探検 闇に眠る永遠の都    7月14日放送



『 世界・ふしぎ発見! 』で、ローマの地下遺跡が取り上げられました。
私たちがこの遺跡について初めて知ったのは、 『 NATIONAL GEOGRAPHIC 』の記事を
読んだときです。今回、実際に映像としてみることが出来ました☆



ローマの地下遺跡

ローマの街は、上昇し続けてきた街です。
街は、テベレ川が湾曲する氾濫原に位置しています。街ができる以前、ここは湿地帯でした。
古代ローマの人々は堤防を築いて洪水を防ごうとしましたが、街は度々水浸しになり、土砂が堆積していきました。
人々は、建物を壊して新しいのを造るのではなく、古い建物や道路の上に、新しい街を造っていき
ました。石造りの建物をそのまま土台にしたのです。
そうして一度の工事で、街は2メートルずつ高くなっていきました。
現在のローマ市は、場所によっては、厚さ15メートルの古い都市の地層の上にあるそうです。
埋もれた都市は、そのほとんどがまだ発掘されていません。

ローマ地下

上の図は、サン・クレメンテ聖堂の断面図です。
1世紀後半~4世紀頃までローマ帝国内で流行したミトラス教の神殿を含む初期の建物の上
に、4世紀にキリスト教徒が集会を開いた住居が建てられ、後に教会となりました。
さらに1084年、ローマがノルマン人の軍勢の略奪を受け、その後、この教会の上に現在の
バシリカ式聖堂が建てられました。



ローマには、『 ローマ・ソッテラネア(地下のローマ) 』という地下空間を調査しているボランティア
グループがあり、市当局から依頼されて調査を行っています。
そのメンバーは、外科医や引退した数学教師など職業は様々です。

ローマの地下遺跡は、発掘調査で発見されるより、工事などで偶然発見される事の方が多く、
ローマの人々にとってそれは日常茶飯事のことです。
(建物を建築する際には考古学的な観点から調査が義務付けられています。そして、調査すると
遺跡が度々発見されるので、工事はなかなか進みません。私たちからすると、ステキな街ですが、実際住むとなるとこういうことは苦労しますね。)
発掘作業は専門的技術が必要なため、なかなか進みませんが、今後の調査でこれまでの歴史
を塗り替える発見があるかもしれません☆



『 NATIONAL GEOGRAPHIC 』 2006年7月号に掲載されてります。
バックナンバー、まだあるみたいです☆



失われた文明 インカ・マヤ

今、NHKスペシャルで『失われた文明 インカ・マヤ』をシリーズでやっています。

 第1回(7/  1) アンデス ミイラと生きる
 第2回(7/  8) マチュピチュ 天空に続く道
 第3階(7/15) 密林が生んだ二千年の王国

番組では、CGや昔の書物の絵を使って、当時の様子を再現しています。
遺跡だけじゃなく、その頃の生活の様子が分かってすごく為になります。

オススメです☆




『世界・ふしぎ発見!』 ペルー天空の湖に眠る超古代文明の謎    第1008回5月18日放送

チチカカ湖に眠る古代都市??

ペルーに行ってきたばかりの私たちには、とても興味をそそられる内容84
また新たに勉強できたので、自分たち自身のためにもここに記録しておきたいと思います☆
(そうでないと書きにくいので、あたかも自分たちが説明してるがごとくに書こうかと・・・202


 
チチカカ湖はペルーとボリビアにまたがった標高3812mの位置にあり、船の航行できる湖としては世界で最も高いところにある湖です。広さは琵琶湖の12倍。その広さと高さのため、
湖なのに波があり、酸素量が普通の湖の3分の2しかありません。


チチカカ湖はアンデス文明の原点の一つと言われていて、湖からは黄金のコップや
ピューマの香炉が発見されています。

古くから、『天空の湖 チチカカ湖の湖底には紀元前の失われた古代神殿が眠っている
チチカカ湖にはマルカパンパという町があったが、ビラコチャの怒りに触れて湖底に沈んだ
等の伝説・伝承があり、そして確かに湖底に遺跡らしきものが発見されているのです。
チチカカ湖では、3500年前から儀式が行われていた形跡があります。

チチカカ湖畔の街 ボリビア コパカバーナ。
コパカバーナは聖なる地で、ボリビア最古の教会(コパカバーナ・聖母バシリカ堂?)のある町。
チチカカ湖観光のボリビア側の拠点となっています。

コパカバーナから船で約1時間、湖に浮かぶ長さ11km、幅4kmの細長い太陽の島は、
神ビラコチャが降り立ったと言われている伝説の島です。
太陽の島の北にある、三つの小さな島に囲まれたトライアングル地帯の湖底に、その遺跡
はあります。

ダイバーが今回撮影した湖底には、階段や石の壁の一部や基壇などがあり、それらは400年頃
の神殿ではないかと考えられています。

一つの説として、かつては太陽の島と三つの小島は一つの島で、神殿などが建つ聖なる島で
あったが、自然現象で神殿が建てられていた低地の部分が沈んで、それぞれ別々の島になった
のではないかと考えられています。

神殿が沈んだ後も、神官たちは聖なる地として、湖に供物を奉納していました。
純金のリャマや銀製の人形(昔は様々な面で女性のほうが強かったので、女性の像のほうが
大きい)を石の箱に入れて湖に奉納していました。
石の箱に入れるのは、湖に沈んでいくようにということです。


 
では、湖に沈んだ古代都市に住んでいた人々はどこに行ったのか?

湖に沈んだ古代都市に住んでいた人たちはティワナクに移り住んだと言われています。
ティワナクは紀元前200年から1000年以上も栄えました。

ティワナク遺跡 カラササヤ神殿の太陽の門の中央に、ビラコチャのレリーフがあり、
ここからビラコチャ信仰がアンデス全体に広がったと考えられています。
その証拠として、ティワナク遺跡の半地下神殿の壁には、約180個もの顔の像があって、
それらはこの地を訪れた人々の色々な顔だと言われています。
その顔の像はチチカカ湖の湖底からも発見されています。

このように、チチカカ湖の古代都市に住んでいた人々がティワナクに移り住み、ティワナクの
信仰がアンデス全体に広がっていったのです。


 
でも、何故、3000m以上の高地で、文明が誕生できたのか。
(高地で気圧も低く、気候も厳しい土地でなぜ???)

それは、人々が陸地の上ではなく、湖の上に住んでいる理由を考えると、答えが出てきます。
湖は昼間、太陽の熱を吸収し、夜、その熱を放出します。結果、湖上は周りの陸地よりも
温かくなります。その熱貯蔵効果と一体が霧に覆われるという効果により、この一帯は農作業が
発達し、その結果、文明が発達したのです。


 ペルーに行ったときは、チチカカ湖に遺跡があるなんて全く知らなかったので、また、チチカカ湖へ行ってみたくなりました。(今度は、ボリビアから)


 
(おまけ)
今回の撮影にはボリビア海軍が参加していました。海の無いボリビアになぜ、海軍があるの?
1850年代まで、現在のチリ北部はボリビアだったので、ボリビアには海がありました。
海がなくなった現在でも、また、海軍が必要な時代が来ると信じて海軍が残っているとの
ことです。海軍が必要なときが来るということは、奪い取るということ??



『世界・ふしぎ発見!』 古代マヤ遺跡最新リポート

マヤ文明はどのようにして生まれ、発展してきたのだろう・・・。
昨日のふしぎ発見はまたも私たちの心を引き付けるテーマでした。

古代四大文明は、全て大河の近くに発展してきました。
大河のないユカタン半島になぜ大きな文明が栄えたのか??


6500万年前(ちょうど恐竜が滅亡したと言われている頃)、ユカタン半島に巨大隕石が衝突。
巨大クレーターができました。
そしてそこに石灰岩質の土壌が堆積していきました。
長い時を経て、降った雨が地中にしみこみ、もともとの土壌と石灰岩質の土壌との
間に大きな空洞が出来ていきました。その後、空洞の上の土が何箇所も陥没し、
地中でつながった大きな泉がいくつもできました。その泉をセノーテといいます。


セノーテは、メキシコ ユカタン半島に300個ほど存在します。
セノーテの奥深くには洞窟があり、セノーテとセノーテは550kmにも及ぶ天然の
地下水路でつながっています。
文明はそのセノーテを中心に発展していきました。
他の文明にとっての大河の代わりをしたのです。

ちなみに、有名なマヤ遺跡『チチェン・イツァー』の近くにはユカタン半島最大といわれる
セノーテがあり、『チチェン・イツァー』とは、『泉のほとりのイツァー家』を意味するそうです。

マヤの人々にとって、セノーテは生活用水であり、信仰の対象でもありました。
そこでは様々な儀式が行われ(雨乞いの儀式など)、たくさんの奉げ物がされました。
又セノーテは、マヤの人々にとって地下世界と交信する神聖な場所でした。
彼らにとって地下世界とは天国と同じ意味があり、セノーテはその地下世界と最も
早く交信できる場所と考えられていました。
セノーテの底からは神にささげた財宝(金や宝石等)が発見されましたが、
驚いたことに、最も多く発見されたのは人骨でした。
生贄を投げ入れたり、高貴な人物を埋葬する場でもあったそうです。
(生贄を投げ入れた水を生活用水として利用するのには抵抗が・・・1826

一つの巨大隕石の衝突によってセノーテが生まれ、セノーテの水がジャングルを作り、
生命を育んで、そして人々の日々の営みが文明を築き上げていった。
これがマヤ文明誕生の秘密です。

マヤ文明は他の古代文明に比べると、まだまだ謎の多い文明なので、
これからの発見が楽しみです☆



『世界・ふしぎ発見!』 エジプト未盗掘ミイラ発見

旅行や歴史関連のTVが大好きな私たち。
その中でも今特にお気に入りなのが、『世界・ふしぎ発見!』です。
(といっても見始めて、はや・・・年。何歳から見てたかなぁ)

今回は、記念すべき1001回目189ということで、第1回目と同じく『エジプト』が紹介されました。

『エジプト世紀の発見完全密着リポート
         ~未盗掘ミイラにツタンカーメンの謎~』

場所は、エジプト・ダハシュール北遺跡。
ダハシュールといえば、赤のピラミッドや屈折ピラミッドが有名です。
20070311122126.jpg
(この写真ではうまく伝わらないですが・・・砂漠とピラミッドしかない場所です。)

こんな広大な砂漠でなぜ発見できたのか・・・。
それは・・・1996年、人工衛星から撮影した写真を解析することより
そこになにか(墓地かも?!”)があることが分かったから。
(そんなことが出来るなら、これからどんどん色んな遺跡が発見されそうですね189。)

トゥーム・チャペル

1997年 ダハシュール北遺跡から新王国時代のトゥーム・チャペル
(神殿付大型貴族墓)が発見されました。

その墓から、王や王妃の墓にしか存在しないはずの
『ツタンカーメン』や『アンケセナーメン(ツタンカーメンの妻)』の指輪等が出土。
そこから、もしかしてこの墓の主はツタンカーメンの側近=『イパイ』の墓なのでは・・・!
ということになったのですが、

(このあたりから私たちはもうドキドキ☆)

最終的に発見されたのは、別の人物の棺でした。
(残念・・・。いえ、それはそれで発見されたことは喜ばしいことデス。
がっかりしてるとこの棺の主に失礼ですもの230
この墓が何かの理由で使われなくなった後、再利用されたようです。
(お墓まで再利用するなんて・・・。エジプトの人はミイラを作って亡くなった人を
 大切に葬る一方、お墓を再利用したり、どんどん盗掘していったり・・・ふしぎです。)

未盗掘の木棺

そしてさらに、別のトゥーム・チャペルの発掘現場から、

なんと、未盗掘の木棺が!!!

この人型の木棺も、新王国時代(ツタンカーメンと同時期・3400年前)のもので
棺には、『ウイアイ』という人物の名前が書かれていました。
玄室をつくらず、直接地面に埋めてあったのにはびっくりしました。

木棺の表面を修復してから棺を開けることになったので、結局今回は誰の棺なのか
分かりませんでした。
(考古学は”時間をかける”ことも大切なのですね241・・。早く知りたい・・。)
今年の夏には開けられるそうなので、今から楽しみです189 
更なるおどろきがあるかも189 189  (吉村教授がんばって!!)

夫婦の木棺

そしてさらにさらに、未開封の2つの木管を発見!!!

この2つの棺は、中王国時代(ツタンカーメンの時代よりさらに400年前)の夫婦の棺で、
『夫婦の木棺』が未盗掘のまま同時に発見されたのははじめてだそうです。

番組では男性の木棺しか紹介されていませんでしたが、その木棺の装飾(絵)が
本当にすばらしかったです237
配色もデザイン(という言い方があっているのかどうか・・)も。
色もくっきり残っていました。ウジャトの目もくっきり。
ウジャトの目とは、棺の中の死者が外の世界を見るために描かれているものです。
なので、死者の頭の方向に描かれています。
(と、以前何かの番組でお勉強しました228

木棺の中には人型棺がありました。とてもきれいなもので、
本当に人がそこで眠っているようでした。


今回は発見が多すぎて驚きとともに、あれもこれもと頭が混乱するほど201
(嬉しい悲鳴です189


同じダハシュール北遺跡で2005年に発見されたセヌウの未盗掘ミイラについて、
興味があれば、吉村先生のこの本をどうぞ




『古代発掘ミステリー』

今日、南米ボリビア モホス大平原で発見された巨大文明の番組をみました。


アマゾンの中に何千kmも続く直線の道路?や、
何千もの巨大な人口池を作った人たちがいました。
一年の半分は水に沈む大平原の中に・・・驚きです183


アマゾンには存在しない石や金属を加工した装飾品をつけて埋葬されていた人。
さらに驚いたことに身長が180㎝以上。
さらにさらに驚いたことに、その人々は北アジアからやって来た可能性があるそうです。


世界にはまだまだ、発見されていない文明があるんだなぁとロマンを感じました。


行きたいところがどんどん増えて・・・229





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