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旅 時々 Photo ところにより にわか雨 
旅行と写真好きな管理人が、旅に関する色々な情報を自分勝手に提供します。☆☆現地情報やツアー情報等満載☆☆
ギリシャ・イタリアの旅 『旅の終わりに』 編

今回参加したツアーは、ホテルも食事もよく、観光とフリータイムがバランスよく入っていて、私たちにぴったりでした。ツアーのメンバーは全員、新婚さんばっかりでした。(皆さんステキな方たちで、いつかまたどこかでお会いできるといいなぁ。)

ギリシャはアテネにいれたのが、たった1日だったのが残念っ。
エーゲ海はきれいだった!!!やっぱり、ミコノス島やクレタ島やロードス島も行ってみたくなりました。アテネに少しでも行ったからこそ、よりギリシャに興味がわいて、デルフィもメテオラなどまた色々行きたくなりました☆

イタリアは、食べ物もおいしいし、お買い物も楽しいし、町を歩いているだけでも楽しいし。
ほんとうに楽しいっ!!!国でした。

今回は、ローマだけだったけど、イタリアには他にも魅力的な町がたくさんあるので、次は是非、他の町も回ってみたいです。
あっあと次回は夜のライトアップも見てみたいです☆

「トレヴィの泉に投げたコインの効果がありますように」と祈って帰りました。

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イタリアのお土産

イタリアでのお買い物って本当に楽しいです☆
すぐに”ブランド”をイメージする人もいるかもですが、それだけではないですよー。
街をうろうろ歩いていると、小さくてかわいらしいお店を発見することが出来ます。

買ってきたお土産をご紹介します179

↓焼き物の時計
お土産1

お店
お土産の店 お土産の店地図写真・左の丸い建物がパンテオンです。
(↑クリックして拡大↑)

この時計は、パンテオン近くの「CENTRO RAKU」というお店で買いました。

パンテオンをめざしてうろうろしている時にステキなお店を発見しました。
お店の前を通りかかった二人は、ショウウインドーに釘づけ。
お店そのものに一目ぼれでした☆



お土産2

お土産3

イタリアに来たので、ベネチアン・グラスを買おうということに。
色がとても綺麗なので、このグラスに決めました。
光線によって入りが少し違って見えます。
スペイン広場近くのお土産屋さんで買ったので、たぶん本物ではないと思いますが、
綺麗でしょ?



お土産4

サン・タンジェロ橋で絵描きさんが描いていたので、買いました。
バジルの大好きなナヴォーナ広場です。
(最近、印刷したものに、わからないように色を塗って売っているお店もあるので、
ちゃんと手書きか良く見ないといけません・・。)



ギリシャ・イタリアの旅 『 ローマ帝国 皇帝 』 編

有名なローマ皇帝をご紹介します。
私たちのキーワード ”お勉強は浅く広く!” です。



アウグストゥス帝 (在位 紀元前27~後14)

帝国を安定させ、「パクス・ロマーナ」に導いた初代皇帝
遺言状で、カエサルの法定相続人に指名される。当時はまだ無名で、弱冠19歳の病弱な青年
だった。カエサル暗殺後の混乱を慎重に収拾、41年の長期にわたって最高権力を掌握し、
帝政時代を築いた。アウグストゥス帝以降の2世紀間は、ローマの支配下全域に平和がもたらさ
れたため、「パクス・ロマーナ=ローマによる平和」という。
市民にも元老院にも親しまれ、晩年には「国父」の称号を受けた。

・フォロ・ロマーノにヘレニズム的要素の色濃い建物を建て、帝政の表玄関にふさわしい風格を
 与えた。
・右腕アグリッパを起用して各地の都市を整備し、ローマ水道などの公共施設を建設。
・ローマを14区の行政区画に分け、防犯や防火対策を整えた。



ネロ帝
 (在位 54~68)

虐殺、放火、放蕩、帝国巨万の富を独り占めした暴君
当代一の著述家セネカを後見人として育ち、治世の最初5年間は、善政を敷く。
しかし、複雑な愛憎関係から、権力志向の強い母親アグリッピナを暗殺。これを境に、狂気の
暴君へと変貌していく。
64年、ローマの大半を焼き尽くす大火が発生した際には、ネロ帝が放火したとの噂が走り、その
評判はますます落ちた。つづいて私邸、黄金宮殿の建設に着手するが、焼け出された市民を
顧みず、国庫を空にしたこの事業によって、全ローマの反感を買い、68年、ついに自殺に追い込まれた。

・黄金宮殿(ドムス・アウレア)



ネルウァ帝
 (在位 96~98)

最初の五賢帝。



トラヤヌス帝
 (在位 98~117)

元老院に認められ、部下にも愛された軍人皇帝。
五賢帝の一人。

軍隊生活が長く、率直な人柄が愛された。属州ヒスパニア(現スペイン)生まれ。
ゲルマニア(現ドイツ、ポーランド地域)遠征中に、全皇帝ネルヴァが逝去したため、戦地から
ローマに帰還し、皇帝の座についた。その凱旋の際、馬や輿に乗らず、徒歩で行進したことから、
庶民的な皇帝といわれ、市民の尊敬を一身に集めた。
理想的な皇帝であるよう努め、「至高の皇帝」の称号を獲得した。
軍事的には最後の侵略主義者として知られている。

・領土拡大に力を注ぎ、トラヤヌス帝の時代に帝国の版図は最大となる。
・フォーリ・インペリアーリの整備
・大規模な公共事業(水道事業など)や貧民の救済事業を起こして内政を立て直す。

・トラヤヌス記念柱 (ダキア遠征の一部始終が描かれた柱)



ハドリアヌス帝
 (在位 117~138)

ギリシアを愛し、設計に熱中する髭をはやした建築家皇帝。
五賢帝の一人。
ギリシア志向の皇帝として知られ、ローマ帝国では唯一、ギリシア風の髭をたくわえている。
長くアテネの統治官をつとめた彼は、肥大した帝国と、硬直化した都ローマの矛盾にいち早く
気付いていた。このため21年の治世のうち12年間を視察旅行に費やし、辺境の防衛を強化
した。帝国北端、グレート・ブリテン島を横断するハドリアヌスの長城もその一環として建設された
もの。

・辺境の防衛を強化

パンテオンの再建
・トラヤヌス神殿
ハドリアヌス墓廟(現サンタンジェロ城)
・ヴィラ・アドリアーナ(ローマ郊外ティヴォリにある保養所)
・ハドリアヌスの長城



アントニヌス・ピウス帝
 (在位138~161)

五賢帝の一人。




マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝 (在位161~180)

最後の五賢帝。




コンスタンティヌス帝 (在位306~337)

ローマ皇帝初のキリスト教信者で、退廃するローマを捨てた皇帝。
コンスタンティヌス帝は、312年のムルヴィウス(ミルヴィオ)橋の戦いで、マクセンティウス帝と対決する直前、空に十字架が浮かび上がり、”これにて勝て”という神の啓示を受けたという。
ローマ皇帝として、最初のキリスト教信者となった彼は、313年、ミラノ勅令を発して信仰の自由を認め、キリスト教を公認した。ローマにキリスト教という新しい時代の息吹を吹き込もうと、バシリカや礼拝堂など、キリスト教関連の建物を積極的に建設した。
しかし、過去の栄光に埋もれたローマを立て直すことはもはや不可能と考え、330年、ついにコンスタンティノープルへの遷都を決意。自身もローマを後にした。

ミラノ勅令(信仰の自由を認め、キリスト教を公認)




ディオクレティアヌス帝
 (在位284~305)

分割統治を制度化し伝統復活を掲げた実力者。
初代アウグストゥス帝の時代から約300年。度重なる他民族の侵攻に苦しみ、皇帝が次々
暗殺された時代に、彗星のように現れてテトラルキア(四帝分割統治)体制を築いた皇帝。
キリスト教徒を迫害し、都ローマに伝統的な習慣を取り戻して、秩序回復をはかった。
しかし、彼が行った多岐にわたる改革は、安定した時代へ導いたものの、帝国全体を視野に
入れた改革とはならなかった。
彼が引退した後、帝国は内乱に陥った。(古代の歴代皇帝で引退した例はほとんどない。)


ギリシャ・イタリアの旅 『古代ローマの歴史』 編


<王制期>

BC753年 伝承によるローマ建国
BC616年 エトルリア人によるローマ支配始まる
BC509年 王制廃止


<共和制期>

BC509年 共和制の開始
BC212年 イタリア半島全域を支配下に置く
BC264年 第一次ポエニ戦争(~BC241年対カルタゴ シチリアを最初の属州とする)
BC218年 第二次ポエニ戦争(~BC201年対カルタゴ 西地中海の覇権を掌握)
BC149年 第三次ポエニ戦争(~BC146年 アフリカ北部、マケドニアを属州とする)
BC73  年 剣奴スパルタクスの蜂起
BC63  年 キケロ、カティリーナの陰謀を弾劾
BC60  年 第一次三頭政治始まるカエサル、ポンペイウス、クラッススによる新政治体制)
BC58  年 カエサルのガリア遠征
BC44  年 カエサル暗殺
BC43  年 第二次三頭政治アントニウス、レピドゥス、オクダヴィアヌスによる政治体制)
BC30  年 クレオパトラ自殺(エジプトがローマの属州となる)


<帝政期>

BC27  年 初代皇帝オクタヴィアヌスの誕生(~AD14)
                           (元老院よりアウグストゥスの尊称を受ける)
AD43  年 クラウディウス帝(在位41~54)、ブリタニアを属州とする
AD64  年 ローマの大火→キリスト教徒への迫害始まる
AD68  年 ネロ帝(在位54~68)、元老院より死刑宣告を受け、自殺
AD79  年 ヴェスヴィオ山が噴火し、ポンペイ埋没
AD80  年 コロッセオの建設
AD116年 ローマ帝国の領土が最大になる(トラヤヌス帝、ダキア戦争に勝利し最大版図達成)
AD122年 ハドリアヌスの長城を建設(ハドリアヌス帝、ブリタニアに遠征し、長城を建設)
AD212年 アントニウスの勅令(カラカラ帝、帝国内の全自由民にローマ市民権を与える)
AD250年 デキウス帝(在位349~251)、大規模なキリスト教徒迫害を行う
AD271年 アウレリアヌスの城壁、ローマを囲う
AD293年 ディオクレティアヌス帝(在位284~305)による、四帝分割統治開始
AD313年 コンスタンティヌス帝(在位306~337)、キリスト教を公認(ミラノ勅令
AD330年 コンスタンティノープルに遷都
AD375年 ゲルマン人の大移動(西ゴート族がローマ領内に移動し、ゲルマン民族大移動へ)
AD392年 テオドシウス帝(在位379~395)、キリスト教を国教とする


<分裂以降>

AD395年 帝国、東西に分裂
AD476年 西ローマ帝国滅亡
  1453年 東ローマ(ビザンティン)帝国滅亡(オスマン・トルコに滅亡される)



ギリシャ・イタリアの旅 『ローマ 7つの丘』 編

ローマはよく『7つの丘』から出来ていると言われますが、7つの丘について、簡単に調べてみました。

7つの丘


① パラティーノの丘
フォロ・ロマーノの南側に位置し、ローマの政治や経済などに力を持つ貴族や有力な家柄の人々の住む住宅地であった。
ローマ建国神話に登場する双子神ロムルスとレムスが、紀元前8世紀にこの丘に街を作ったとされている。

② アヴェンティーノの丘
パランティーノの丘の西に位置する。古代は交通の要衝で外国の商人が絶えず行き来する商業の町であった。現在は閑静な住宅街となっている。

③ クイリナーレの丘
トレヴィの泉の東側に位置する。7つの丘の中で一番高い。
古代ローマ時代は住宅地として発展。大きな浴場(コンスタンティヌスの浴場)も造られた。
中世にはすっかり忘れられていたが、16世紀のクイリナーレ宮造営を期に反映を始めた。

④ カンピドーリオの丘
フォロ・ロマーノの西、現在の市庁舎があるところに位置し、フォロ・ロマーノが一望出来る。
調査によると人々が住み着いたのは鉄器時代(紀元前1300年頃)で伝説によるローマ建国(753年)よりずっと昔に遡る。
有利な地形であることから、まず、自然の要塞として発達、次いで、紀元前6世紀頃にローマ3守護神(「カピトリーノの3神」ジュピター・ユノ・ミネルヴァ)に捧げる神殿が造られた。
以後、古代ローマで最も神聖な場所となり、重要な政治的儀式はここで執り行われた。
中世には一次荒廃し、羊が草を食む場所と化したが、ルネッサンス期の都市計画によりよみがえり、華やかな姿を見せている。

⑤ ヴィミナーレの丘
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の西に位置する。
フォロ・ロマーノが手狭になったのを感じたカエサルがここに自分の名前を冠した「カエサルのフォロ」を建設。歴代皇帝もこれに習い、新しいフォロが次々とこの丘に作られた。

⑥ エスクイリーノの丘
コロッセオの北東に位置する。
アウグストゥス帝の庇護者メセナスがlここに館を構え、多くの芸術家を自邸サロンに呼び寄せたことから、古代文明の発信基地となった。
のちに皇帝ネロがこの丘にまたがる壮大な宮殿を建設した。その黄金宮殿はコロッセオの25倍の規模だったと言われている。

⑦ チェリオの丘
コロッセオの南、パラティーノの丘の東に位置する。
共和制末期から住宅街として栄えた緑豊かなエリア。1世紀に皇帝ネロの母アグリッピーナが、亡き夫クラウディウス帝祀る神殿を建築した。中世以降、その遺跡の一部を利用して大規模な協会が建てられた。



ギリシャ・イタリアの旅 『S・P・Q・R』 編
S・P・Q・R とは?

ローマのあちこちでみるこのマーク。
マンホールや建物の壁やパンフレットなどあちこちに使われてるこれって何だろう・・・???

S・P・Q・Rとは、Senatus Populusque Romanus の略。
その意味は、「元老院とローマ市民」。

古代ローマの国家全体の主権者は「元老院とローマ市民」であることを示し、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものとなっています。

ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカでも見ることが出来ます。

現代のローマ市の紋章にもなっています。



ギリシャ・イタリアの旅 『ローマおすすめ!?スポット』 編

ローマは、見るところがたくさんありすぎて、夢中で観光しているとクタクタになってしまいます。

そんな日本人に優しい場所があります。
それは、

   ローマ三越189

冷たい水とソファとトイレと日本語が通じるステキな空間が疲れた観光客を癒してくれます。
日本語の観光情報をGETするも良し、のんびりくつろぐのも良し、お土産コーナーを回ってみるのも良し。ずっーと居ても嫌な顔はされません。

私たちも何度かお世話になりました。

ツアーの人は、一度は連れて行ってもらえると思いますが、普通の店ですので
個人旅行でも自由に入店できます。
ローマに行った際は是非活用してください236

ローマ三越は共和国広場(地下鉄Repubblica)から徒歩3分のところにあります。
テルミニ駅からも歩いていける距離です。



ギリシャ・イタリアの旅 『ホテル(イタリア)』 編

スターホテル・ミケランジェロ (ローマ)
スターホテル

スターホテル地図 写真上側がサン・ピエトロ寺院
(↑クリックして拡大)

今回宿泊したホテルは、サン・ピエトロ寺院から徒歩10分弱という好立地で、しかも周りも静か。

部屋は特別キレイという訳ではありませんが、不快なく過ごせました。

なんといっても、このホテルの良さは、サン・ピエトロ寺院まで歩いていけること。
朝や夕方に、ぶらぶらとサン・ピエトロ寺院まで散歩に行けてしまうのです。

しかも客室からもサン・ピエトロ寺院を見ることが出来ます。
ホテル2



ギリシャ・イタリアの旅 『食事(イタリア)』 編

イタリアの食事は、とにかくおいしい。
ツアーで連れて行ってもらえるレストランも、自由時間で自分たちで食べに行ったところも、
食べたもの全てがおいしかったです。

イタリアでどうしても外せないのが、ジェラート
イタリアはアイスクリーム発祥の地だけあって、街のあちこちにジェラート屋さんが
あります。今回は、数回しか食べられなかったですが、どれもとってもおいしかったです。
シャーベット系が特にオススメです。


イタリアのレストランは、種類が色々あります。目的に応じて、使い分けましょう。
簡単に説明してみます。

リストランテ(Ristorante): 最高級から中級までの、いわゆるレストランのこと。
                 必ず、コースの中から数品選ぶ必要があり、パスタとコーヒー
                 だけ、ということは出来ません。(出来ますが、避けたほうが
                 いです。)
トラットリア(Trattoria)   : リストランテより気軽に入れ、きちんとした服装で出かける
                                      必要はありません。コースで頼む必要もなくパスタとサラダ
                 だけ、という頼み方も出来ます。
ピッツェリア(Pizzeria)  : ピッツァ専門店。
バール(Bar)       : 軽い軽食も取れる。喫茶店とバーと惣菜店を合わせたような 
                 便利な店

ツアーについている食事は、リストランテか一部トラッテリアでしたが、パスタ類が本当においしかった!!特にラザニア(パスタ類?)が絶品でした。日本でラザニアはそれほど好きではなかったのですが、それ以来、大好きに★★★。日本でもおいしいラザニアを探していますが、この時のラザニアを越えるものにはまだ出会えていません。

↓ツアーには、カンツォーネを聴きながらのディナーがありました。
カンツォーネ

自由時間に行った日本大使館近くのピッツェリア。
ここで、イタリア人の凄さを思い知らされました。
ピザ屋
せっかくなので、レモンとバジルそれぞれ違うピッツァを一つずつとサラダを頼みました。
しばらくすると、ピッツァがやってきました。が・・・

大きい!!大き過ぎる!!183

大きなピッツァを二人で必死に食べていた時、近くの席にイタリア人のおばあさんが一人で
やってきました。
しばらくすると、私たちと同じようにピッツァがおばあさんのもとに。
「おばあちゃん、無理だよ。」と内心思いながら見ていると、あれよあれよと言う間に
巨大ピッツァを平らげてしまいました。しかも平然と。
私たちは、結局、二人で一枚分しか食べられませんでした。
さすがに本場にはかなわないと思うレモンバジルでした。



ギリシャ・イタリアの旅 『ローマ散策』 編


真実の口 ( Bocca della Verita ) ★☆☆

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口の柱廊左側にある。
名画 『 ローマの休日 』 で一躍有名になった。
「嘘を言った者がこの口に手を入れると手を食べられてしまう」 という言い伝えは
中世のものだが、今日でもここで”正直”の証をしようとする人々は後を絶たない。

真実の口

足元が真っ暗なところを歩いたり、暗くて見えないところを手探りで何か探したり
ってことが、大の大の大の苦手238なレモン。
もう大人だし、わかってはいるけれど、なかなか手が入れられず・・・。
心臓ドキドキ決死の覚悟で入れました182
(バカですよね・・・。でもどうしても苦手なのです・・・泣) 240

乗り気じゃないレモンを引っ張ってきて、写真を撮り大満足のバジル。
ミーハーと言われようが、ローマに来たからにはここで写真を撮らないと!!



スペイン広場(Piazza di Spagna) ★★☆

広場前の階段は、正式名は、トリニタ・デイ・モンティ階段であるが、通称スペイン階段
の愛称で知られ、世界中からの観光客で賑わっている。
17世紀にスペイン大使館があったことがその名の由来である。

スペイン広場

映画「ローマの休日」をまねて、ジェラートを買い、階段に向かった私たち。
階段を3段くらい昇ったところで、「ビービービー」と笛の音が!!
ここは飲食が禁止だったのです。

私たちの野望は、もろくも崩れ去りました282

同じようなことを考える観光客が後を絶たないようで、私たちの後も次から次へと笛を
鳴らされていました。

ジェラートを食べ、気を取り直して、階段を上がったところで、二人の絵を
描いてもらいました。 が・・・ぜんっぜん似てない!!



トレヴィの泉(Fontana di Trevi) ★★☆

トレヴィの泉の起源は、紀元前19年 アグリッパが造らせた水道に遡る。
一度は破壊された後、1453年から約300年かかって、1730年、現在の姿になった。
工事を完成させたのは、コンクールで選ばれた当時ほとんど無名の若手建築家
イコラ・サルヴィだった。
トレヴィとは、三叉路の意味。

トレビの泉

むしろ向きに泉にコインを投げ入れると、またローマに戻ってこれる」 という伝説を聞いて、
さっそく私たちもやってみました。周りを見てみると、同じことをしている世界中から
やってきた観光客の姿がたくさん。
泉のなかには、各国のコインが沈んでいました236
(後で知ったのですが、本当はコインの投げ入れは禁止だそうです。229

トレヴィの泉周辺には、おいしいジェラート屋さんがあります。
次来たときには、ジェラート屋さん巡りをしたいなぁ。

(スペイン広場とトレヴィの泉は、いい写真がなかったので、怒られるかなぁとビクビクしながら
絵はがきを載せちゃいました。)



サンタンジェロ城近辺
サンタンジェロ城近辺1

サンタンジェロ橋のベルニーニ作の像
サンタンジェロ城近辺2

サンタンジェロ城からサンタンジェロ橋を渡り、バチカンを通り抜けてホテルまで帰る道は
私たちのお気に入りの散歩コースになりました。





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