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旅 時々 Photo ところにより にわか雨 
旅行と写真好きな管理人が、旅に関する色々な情報を自分勝手に提供します。☆☆現地情報やツアー情報等満載☆☆
ギリシャのお土産



ギリシャ土産1 ギリシャ土産2
イドラ島のお店で買いました。
お土産屋さんで、二人がそれぞれ”一番ギリシャっぽいもの”を選んだ結果、
この2つになりました。

一つの国で一つ、その国の思い出となるお土産を買って、いつの日にか、大豪邸にそれを
並べて飾ろうと話している二人。 (もちろん、大豪邸はまだ建っていません229
ギリシャには革製品など有名なものもありますが、今回二人のおめがねにかなうものが
見つかりませんでした。
ならば!、いかにもギリシャらしいものを!!と、これを選びました。
(なので、安価です。 でも値段は関係ないのです。 この旅を思い出せる品物です。)



ギリシャ土産3
ローマへ向かうためアテネ空港へ。
2年後のアテネ・オリンピックに向けて、アテネ空港には専用ブースが設けられ、
オリンピック色が強くなっていました。
グッズもたくさんおいてあったので、せっかくオリンピック開催予定地に来ているのだからと、
このピンバッジを買いました。
(世界にはオリンピックのピンバッジを集めている人がたくさんいるそうです。
そこは、ミーハーなわたしたち。即購入! 長野でも買っておけばよかったな。)

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ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ・エギナ島 』 編

エギナ島(AEGINA)★☆☆
ピレウスから約30kmに位置する島。
島の人口は約1万4000人。サロニコス諸島の中で最も人口が多い。
古代に独立ポリス(都市国家)として栄え、アテネのライバル関係にあったほど、
その勢力は強大なものだった。
1827~1829年の独立戦争中には、一時的だがギリシャの首都でもあった。183

エギナ島1
今までの島と比べて、とっても都会。
車もたくさん走っていて、小さな島という感じはあまりしないです。
かつて(一時的でも)、 ギリシャの首都! になっただけはあるなぁ。

<聖ネクタリウ修道院?>
エギナ島2
途中、この修道院に立ち寄ったのですが、名前を忘れてしまいました238
たぶん、”聖ネクタリウ修道院”だと思うのですが・・・。

<アフェア神殿>
エギナ島3
紀元前6世紀末から紀元前5世紀にかけて建てられたもので、アルカイック時代後期の
神殿のなかでも、最も優れた建築のひとつ。
32本あったドーリア式の石柱のうち、現在でも24本が残っている。石柱は、エギナ島で
取れる石灰岩で造られていて、その大部分がアルカイック時代の特色である一枚岩で
出来ている。

柱がほとんど残っていて、在りし日の姿が想像できる神殿です。
長い年月、頑張って残っていてくれてありがとう!

神殿に着いた時は、本当に本当に暑くて・・・1 (泣)
この神殿を思い出すときは、暑さも一緒についてきます229



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ・イドラ島 』 編

イドラ島 ( Hydra ) ★★★
東西20km、南北5kmの細長い島。人口は約2800人。
緑に覆われたエギナ島やポロス島に比べると、緑は少なく、白っぽい岩石の島といった
印象を受ける。しかし、海水の透明度は2つの島よりも高い。
この島では自動車やバイクの乗り入れが一切禁止されている。

18~19世紀にかけて、イドラの商人たちは海上貿易で成功を収め、巨万の富を得る。
1821年からのギリシャ独立戦争で、彼らは自分たちの持ち船を武装させ、海戦で大活躍
する。ギリシャではとても有名な話で、現在でもイドラ島はギリシャ人たちの間で英的な
島として人気が高い。
島に立ち並ぶ大邸宅は、ほとんどがこの商人たちによって建てられたもので、昔から
高級リゾートとして名を馳せた。

丘の頂上には15世紀に建てられたプロフェト・イリアス修道院が建つ。
その近くには16世紀に創建されたアギア・エフラクシア修道院がある。
また、港の前にはバシリカ建築の代表的作品の一つである大聖堂が建つ。
1774年に建築された。

イドラ島1

イドラ島2
クルーズ2つ目の島となるイドラ島。
この島もステキ233

でも、同じエーゲ海の島なのにポロス島と何か感じが違う。。。
あっ、車がない! 代わりにロバ279!?がいる183。 


イドラ島3
島の中の唯一の移動手段は、ロバ279。 
観光客向けのロバタクシー?もたくさんいました。


イドラ島4
絵のような風景176176
何度見てもステキです。この風景。
路地を一つ入っただけでこんな感じです。迷子になってみるのも楽しそう189
(でも集合時間に遅れたら、船は本気で行ってしまいます229


イドラ島5
海辺のレストランです。
リゾートチックでしょ。

リゾートと言えば、ピスタチオのアイスが有名ということで、はりきって食べてみました。
幸せ気分でパクッ!!  うっ!!! 238240282!!! 
・ ・  ・ ・ ・ 微妙232263
試しに食べてみる分にはいいですが、それほど期待しないほうがいいです263


イドラ島6
この島では猫もこの通り、まったり気分でした。
街にあるが本当にステキです!!!



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ・ポロス島 』 編

ポロス島  ( Poros ) ★★★
東西10km弱の小さい島。カラヴリアとスフェリアという2つの島からなっている。
(両島の間には水路があり、小さな橋が架かっている。) 人口は約4000人。
低い丘の斜面に赤い屋根をつけた白壁の家々が並び、オリーブや松の木が茂る丘との
コントラストが美しい。
島には紀元前6世紀に建てられたポセイドン神殿跡と、18世紀に創建された
ゾオドコス・ピギ修道院がある


ポロス島1
時計台が目印のポロス島が近づいてきました189
白い壁とオレンジの屋根で統一された街並みが見えてワクワク233

ポロス島2
ヨットに乗って優雅なひと時を過ごす人たち102
エーゲ海の青い海によく似合うなぁ228
ここは時間の流れがゆったりしています。

ポロス島3
これぞ私たちがイメージしていたとおりのエーゲ海の街237189
い空。 明るい太陽の光1。 白い家。 赤や青の窓。 細い階段と小道。
遠くに人の声と鳥のさえずりが聞こえるだけ。

ポロス島5
到着すると、まずみんな一気に時計台まで駆け上がります246。(これが結構きつい201
そして上からの景色を楽しんだ後、思い思いの小道を降りて、港の船に戻ります。

ポロス島4
本当に小さな島ですが、エーゲ海のイメージにピッタリの素敵な島でした。



ギリシャ・イタリアの旅 『 エーゲ海クルーズ 』 編

旅の3日目。 楽しみにしていた ”エーゲ海ミニクルーズ36 ” に出発です237

実は当初、エーゲ海の島々を旅するツアーを検討していました。 ところが、
レモンはミコノス島+クレタ島に行きたい!バジルはミコノスorサントリーニ島+ロードス島
に行きたい! と、意見が合わず・・・。 間をとってミコノス島とロードス島にしようと話が
まとまったところで調べてみると、この組み合わせはないとのこと。232202
結局、旅行社のおじさんの「島ばっかりだと意外とつまんないよ~」の一言で、今回のツアーに
変更したのでした。

このクルーズはアテネ近郊の海辺の町、ピレウスから船が出て、サロニコス湾にある
エギナ島、ポロス島、イドラ島をまわります。
近場のクルーズでも、エーゲ海が充分に味わえる?とのことなので、ほんっとうに楽しみ


船に乗り込み、太陽の光を恐れることなくそのままデッキへ。そこには世界各国の人々が。
みなさん用意されたデッキチェアーを思い思いの場所に移動させて寝そべってます。
私たちもさっそく!! (うっ・・あっ 暑い!!!1

エーゲ海クルーズ1
出発してすぐに、右手に建設中のオリンピック競技場が。
2年後にはアテネでオリンピックです。

エーゲ海クルーズ2
ところ狭しと座ったり寝そべったり。
この時ばかりはレモンも、日焼け防止より、太陽の光と風を楽しむことに。

エーゲ海クルーズ3
青い海、カモメたち、ギリシャの旗。 本当によく似合います。102
カモメたちがずーっと船を追いかけてきます。

エーゲ海クルーズ4
帰りの船内では音楽と踊りのショーがあります。
この後、レモンとバジルはすっかり巻き込まれ、みんなの前でくるくる踊らされました6



ギリシャ・イタリアの旅 『 アテネ散策 』 編

限られた自由時間でほんの少しアテネを歩いてみました。

ミトロポレオス大聖堂  (Mitropoleos Cathedral )

アテネ最大のギリシャ正教教会。
1840年から15年の歳月を費やして建造された。大統領の宣誓式など国家行事の大半はここで行われる権威ある教会。

アテネ散策1


エルムー通り
ショッピングストリート。道の両側にはブティックがズラリと軒を連ねている。
アテネ散策2


シンタグマ広場 ( Syntagma Square )
シンタグマとはギリシゃ語で”憲法”の意味。
1834年、最初の憲法がここで発布されたことにちなんで命名された。
アテネのほぼ中心に位置し、街のヘソと言える。
アテネからギリシャ各地への距離は、すべてこのシンタグマ広場から測られている。

アテネ散策3

例のごとく、街に散策にくり出した途端、どしゃ降りの大雨3240
一瞬にして広場は水浸し。アテネ市民の皆さんもつるっつる滑りながら緊急避難です。
(ごめんね・・・私たちが来たから?!・・・240202


衛兵さん
アテネ散策4

ガイドさんいわく、衛兵さんは”頭の良さ”よりも、”顔の良さ”で選ばれるそうです。
「キュートでかわいいハンサムマンでしょ~178」って強調されていましたが、私たち的には・・・
微妙です。・・・。229


ローマン・アゴラ  & 風の神の塔 ( Roman Agora & Tower of Winds ) 
アゴラとはギリシャ語で”市場のある広場”を意味する。
古代アゴラの東に隣接して広がる広場。
ローマ時代初期(紀元前1世紀~紀元後2世紀)ににぎわったところで、
北東部の入り口付近に建つ八角型の風の塔が目印。(写真中央より少し右)
この塔は1世紀に天文学者アンドロニコスが建てたもので、かつては日時計、水時計、
風見の3役をこなしていたと言う。
塔の8面は、それぞれ正確に東西南北と、北東、南東、南西、北西を指し、壁の上部には
それぞれの方向の風の神のレリーフがある。

アテネ散策6


プラカ地区
アクロポリスの丘の麓から北東にかけて広がる。
19世紀の街並みを今に残すアテネの旧市街。細い路地が迷路のようにして入り組む街は、
昼夜の区別なく市民や旅行者たちでにぎわっている。

アテネ散策5

写真の場所はプラカ地区の外れも外れです。時間があれば、プラカ地区のメインストリート 
キダシネオン通りやアマリアス通りを散歩したかったですが、時間がなく、ほんの触りだけに
なってしまいました。



ギリシャ・イタリアの旅 『 オリンピックスタジアム 』 編

オリンピックスタジアム ( Olympic Stadium ) ★★☆
オリンピックスタジアム2 オリンピックスタジアム3
                                           ↑クリックで拡大。
オリンピックスタジアム1
1896年、第1回近代オリンピックが開催されたところ。
紀元前331年に、パン・アネテ大祭の競技場として造られたのが始まり。
(当時は観客席というものはなく、見物人はみな土手の斜面に立っていた。)
その後、競技場は荒廃していたが、第1回近代オリンピックの開かれる前年、アレキ
サンドリアの富豪アベロフの援助を受けて、古代の競技場に近い形に復元された。
座席は大理石で出来ており、約50,000人が入場可能。トラックは馬蹄型をしている。

近代オリンピック発祥の地ということで、トラックでお約束の”クラウチングスタート246”を
してきました。
座席等は大理石で出来ているだけあって、全く古さを感じさせないのですが、この日は雨が
ふっていて、ツルッツル。すり足差し足で、なんとか競技場を一周しました。

競技場の入り口付近には、これまでのオリンピック開催地一覧の記載された碑がありました。
東京を見つけて、はしゃぐミーハーで無邪気な二人でした。278


<オリンピック>
オリンピックの起源は諸説あるが、古代オリンピックは、紀元前776年にオリンピアの聖域で第1回の祭典が開かれた記録が残っている。
これは、ゼウス神に捧げられたもので神聖な祭礼でもあった。
以来、オリンピック競技大会は4年に1度、夏至の後の満月に催されるようになる。
参加者の資格は、ポリスの市民権を持つ男子に限られ、選手たちは全裸で競技した。
晴れて故郷に戻った優勝者たちには、金品が贈られ優遇されたと伝えられる。
たとえ戦争中であっても、大会期間中は休戦された。
オリンピックは紀元前5世紀には最盛期を迎えるが、393年ローマ帝国はキリスト教を
国教としたため、ゼウス神の祭典を主とするオリンピックを異教徒の祭りとして禁止する。
以後、1896年に近代オリンピックが開かれるまでオリンピックは途絶えた。



ギリシャ・イタリアの旅 『 建築様式 』 編 

ギリシャを旅していると、”~式の柱”というフレーズをよく聞きます。
最初は気に留めなかった私たちも、何度も聞くうちに”それって何?”と思うように。
少しだけでも知ってたら遺跡を見る目も変わって面白いかなぁと思って、ほんのちょびーっと
調べてみました。
(毎度の事ながら、勉強は浅く広くです230


<オーダー>
ギリシャ建築・エトリアル建築・ローマ建築に遡る、柱と梁などの組み合わせや装飾方法のこと。
古典的オーダーは、ドーリア、イオニア、コリントの3種類が基本とされているが、これにコンポジット、トスカ-ナを加えて、5つのオーダーと呼ばれることが多い。


ドーリア式 (ドリス式)
ドーリア式
古典ギリシャ建築の様式のひとつで、オーダーの中では最もその起源が古いと考えられている。
柱頭に鉢形装飾や柱基を持たず、柱は太く短い。男性的で単純・素朴・力強いイメージ。
しばしば“荘重”と表現される。
代表的建造物はアテネのパルテノン神殿


イオニア式
イオニア式
渦巻き模様が特徴的なオーダー。紀元前6世紀ごろ小アジアで作成された。
紀元前5世紀ごろには、アッテカ半島で広く使用されるようになり、ヘレニズム時代には
ドーリア式に代わってほとんど全ての神殿建築に取り入れられた。
柱身や溝彫りも細かく、柱頭に渦巻き方を用いる。優美・女性的なイメージ。
代表的建造物はアテネのエレクティオン

コリント式
コリント式
紀元前5世紀頃に、アテネで発明されたオーダー。
柱頭部分はアカンサスの葉を模して作られている。通常は、柱頭に上下8枚ずつ、
互い違いにアカンサスが掘り込まれるが、装飾の豊かさと自由さからバリエーションも多く、
柱の装飾として好まれた。華麗なイメージ。
代表的建造物はアテネのオリンピア・ゼウス神殿


コンポジット式
”混合式”を意味する。柱頭の上下に異なったオーダーの要素を組み合わせたもので、
通常はコリント式の上部にイオニア式の渦巻き模様を載せた柱頭をもつ。
他にも、渦巻きの代わりに人や動物の頭をあしらったものもあり、バリエーションが多い。

トスカナ式
エトルリア(紀元前8~4世紀頃にイタリア半島にあった都市国家)に起源を持つ最も単純
なオーダー。単体では柱の直径や高さの比例が異なる以外、区別がつかない。



ギリシャ・イタリアの旅 『 アクロポリスの丘 』 編 その3


ヘロド・アティクス音楽堂 ( Odeon of Herodes Atticus ) ★☆☆


 
ヘロド・アティクス音楽堂
161年に建築されたローマ式の野外音楽堂。アクロポリス入り口の南斜面にある。
ギリシャ
文化を愛したアッテカの大富豪、ヘロド・アティクスが、亡き妻を偲んで
建造し、アテネに寄贈した。
1951年に復元され、現在も夏の間、アテネ・フェスティバルはじめ、様々な演劇、
コンサート、オペラ、ギリシャ古典劇等多くの催し物に利用されている。
エウメネスの柱廊でディオニソス劇場とつながっている。

現在でも使用されているだけあって、客席やステージはしっかりしていて、とても千数百年前の
建物とは思えません。昔も今も、同じ場所で同じように音楽などを楽しんでいたと思うと
ロマンを感じちゃいます。

ディオニソス劇場 ( Theatre of Dionysos ) ★☆☆
ディオニソス劇場
紀元前6世紀頃に建造されたギリシャ最古の劇場。
古代都市にはアクロポリスと劇場が必ずといっていいほどあり、古代アテネの劇場
はこのディオニソス劇場だった。1万5000人の観客を収容できる大きな劇場で、
観客席の最前列は貴賓席となっていた。
現在の劇場はローマ期に大改築されたもので、古典期の姿はあまりとどめていない。

ティオニソスとはギリシャ神話のワインと演劇の神で、毎年この劇場中心に
”ディオニソス祭”が行われていた。
かつては劇場南側にディオニソスを祀る神殿が2ヶ所あった。
半円形の舞台後方に半分だけ彫刻像とレリーフが残っている。
ディオニソスの一生をテーマにした見事な芸術作品である。

ヘロド・アティクス音楽堂の近くにあったのでとりあえず写真を撮りましたが、音楽堂に気を
奪われ、全く興味がありませんでした。今回、記事を書いて、音楽堂よりも更に古い劇場跡だと
知り、もう少しちゃんと見とけば良かったと思うレモンバジルでした。

ゼウス神殿 ( Temple of the Olympian Zeus ) ★☆☆
ゼウス神殿
アドリアヌス門のすぐ南にある、ゼウス神の聖域にある神殿跡。
2世紀、ローマ皇帝ハドリアヌスの時代に完成した。
かつては計104本ものコリント式柱が並び、それは美しく、威厳ある姿であったという。
現在はそのうち15本が残っている。

写真中央にあるのがそれです。遠くから見るとたいしたことない?と思ってしまうのですが、
そばを通ると1本1本の柱の大きさに驚きます。それを考えると、残っていてほしかったと
心から思います。


ヘファイストス神殿 (テセイオン) ★★☆
ヘファイストス神殿(古代アゴラ)
古代アゴラ内にある、ギリシャで最も原型を残している神殿。
アゴラとは現代ギリシャ語で”市場”を指すが、古代では ”
政治、宗教、文化的施設が
集中した所” という広い意味をもっていた。
建築時期はパルテノン神殿が建てられた頃とあまり変わらない。

この神殿の呼び名は、ヘファイストス神殿とテセイオン神殿の二通りある。
ヘファイストスはオリンポス12神の一人、鍛冶の神で、テセイオンはアテネ市の宗主
である。ヘラクレスやテセイオンの浮彫りが施されていたので、テセイオンの神殿と思わ
れていたが、最近の調査で、ヘファイストスを祀った神殿であることがわかった。
しかし、ギリシャの人々は、今も昔の名を呼び続けている。

ここはアクロポリスの丘からしか見なかったのですが、写真に写っている一体は
”古代アゴラ”といって古代遺跡が点在しているところです。
時間があれば、一度は行ってみたいところです。


ギリシャ・イタリアの旅 『 アクロポリスの丘 』 編 その2

パルテノン神殿 (Parthenon) ★★★
パルテノン神殿1

パルテノン神殿2

パルテノン神殿3
アクロポリスの丘の象徴。 紀元前438年に完成。
アテネの守護神、アテナを祀っている。
神殿には約50本のドリア式柱があり、柱は高さ10m、幅は下部で直径2mある。
建てられた当時は全体が彫刻像や、神話や古代歴史をテーマにした浮彫りで飾られた
一大芸術作品だったという。

パルテノン神殿の美しさの秘密は、緻密に計算された建築設計にある。
神殿は一見すると直線+平面の直方体に見えるが、実際には曲線と曲面で出来ている。
柱は中間にふくらみがあり、上部は細く、内側に傾いて建っている。
柱と柱の間隔は同じではないし、角の柱は他の柱より太く造られている。
また、神殿の床面は中央を高くしてある。
こういった工夫は、建物を美しく見せるためであり、また、現実的用途も充分に考慮
されている。柱の傾きは強度を上げて屋根の重みを支えるため。
床の盛り上がりは、雨水をはけやすくする目的で行われている。

荘厳というのか威風堂々というのか・・・。とにかくすばらしいです。圧倒されます。

神殿の周りには、壊れた柱がごろごろと・・。(こんなんでいいの?)
神殿の中には入れません。さらに、中は修復中で骨組みとかがあったので、
興ざめしないよう、わざと見ないふり見ないふり229

写真左は近くの丘から撮ったもの。
遠くからアクロポリスの丘だけを切り取って見ると、本当に自分のいる時間(時代)が
わからなくなります。この景色、最高です。
真ん中の写真はちょうど入り口を入ってすぐのところです。ちらばっている壊れた柱(?)から
視線を上げると、神殿が目の前に!!入ってくる人 入ってくる人順番に足を止め、
感嘆の声を上げます。

道を挟んで神殿のちょうど反対側にエレクティオンがあります。(道からは少し離れています)


エレクティオン (Erechtheion) ★★☆ 
エレクティオン
紀元前421年から約17年の歳月を費やして建設された、優美なイオニア式の
小さな神殿。パルテノン神殿の北側にある

イオニア式の柱と壁石に囲まれているアテナ・ポリアスの神室と、
ポセイドン・エレクトスの神室が複合した建物である。
南側には美しい6本の女性柱(カリア)が飾られている。
これらはアッテカ芸術の傑作といわれ、現在オリジナルはアクロポリス博物館と
大英博物館にある


パルテノン神殿が荘厳なら、こちらはもっと女性らしい感じがする、かわいい神殿です。
パルテノン神殿と比較して小さいことや、女人柱が飾られていることもありますが、う~ん、
なんというのか、かもし出す雰囲気がそうなのです。(なんて言葉の知らない私たち202
私たちが行った時はそばに行くことが出来ませんでした。残念っ。

どこの国に行っても、なぜか大英博物館の名前を耳にします。ちょっと複雑な気分・・・。
あるべき場所にある方が、やっぱりいいですものね。私たち旅人も、せっかくはるばる行って、
”オリジナルは大英博物館”と言われると、ちょっと悲しい。
そして私たちの頭の中の大英博物館(イメージ)、だんだんすごいことになってます201
一度は行ってみなくてはっ!
(行ったら行ったで、”世界中のものが一堂に集まっていてすばらしい”とか思ってしまうの
かな・・・。・・・。・・・。・・・。)

アクロポリス博物館 (Acropolis Museum) ★★☆
アクロポリス博物館1 アクロポリス博物館2
アクロポリス博物館3 アクロポリス博物館4
パルテノン神殿の東側にあり、アクロポリスの丘周辺で出土された遺品が展示されて
いる。先史時代からの発掘物もある。
主にパルテノン神殿が建てられた頃(アテネの最盛期)のものが多い。

アクロポリスの神殿群を飾っていたレリーフや彫像がたくさん展示されています。
一つ一つ見ていると、当時の人々の生活を感じることが出来ます。
神話をテーマにした作品が多く、中には ぷぷっ とふきだしてしまうものも(写真右上)。
顔もかわいい(?)し、腰から下はにょろにょろ長いし、気になる存在です。
(美術館、博物館の類に行くと人一倍、いや人十倍 時間がかかるレモン。ここから離れられず!)







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